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原動力は吉野愛!新しい挑戦を続ける富夫さん

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かつて林業で栄えていた奈良県吉野町。素朴で、平穏な時間が当たり前のように流れるこの町には、吉野愛に満ちた人がたくさんいます。生粋の吉野人である福田富夫さん(64歳)も、そんな住民の一人。地元でも飛びぬけて吉野愛が強い彼のお話を伺い、ユニーク(そして時に破天荒)な活動について知ると、その根源にあるものが見えてきました。

福田富夫さん

 

吉野が好き、人が好き、イベントが好き

富夫さんは、地元吉野の木材を使って集成材を生産する会社を経営しています。集成材とは小さく切り分けた木材を乾燥させ接着剤で組み合わせた人工木材のことで、加工には高度な技術が要求されます。昭和47年の創業以来、家族・従業員が一丸となって頑張ってきたものの、昨今の国産木材の需要減少を受け、会社は維持するだけでも大変な状況に追い込まれています。しかし富夫さんは、状況を悲観したり立ち止まったりするタイプではありません。「これは面白いぞ」と思う新しいことに出会うと、次々とそれを行動に移していくのです。

例えば、日本テレビ系列で放映される「欽ちゃんの全日本仮装大賞」への出場。これまで5回も出場しており、その度に吉野から大人数を引き連れ上京し、遂には準優勝してしまいました。また、名古屋城が改築されるという情報を聞きつけると、すぐさま吉野のひのきでお城のミニチュア骨格を製作。河村名古屋市長にアポをとり、木材は吉野材を使うよう、ミニチュア骨格を見せながら直接営業を行うという大胆行動に出ました。

他にも、2021年に関西で開催される世界最大の一般参加型国際総合スポーツ大会において吉野町(津風呂湖)でカヌー競技が行われることが決まると、富夫さんは早速吉野杉でカヌーを造り始めてしまいました。参加意欲満々の富夫さんを、もはや誰も止めることはできません。

吉野町で行われる国際総合スポーツ大会のために自作した吉野杉のカヌー

富夫さんの発想力、行動力の根源にあるものを知りたくなった私は、直接ご本人に尋ねるべく、事務所にお邪魔しました。最初に伺った「これまでの人生で何が一番大変でしたか」という質問に、富夫さんは「金集めやな~」と即答。自社の資金繰りに関する苦労話が始まるのかと思いきや、彼は「7月の花火大会の運営費や」と話を続けました。

2008年、吉野町の主催で50年間続いた伝統ある花火大会が財政難を理由に中止となってしまいました。そこで富夫さんは、迫力ある花火大会を復活させたい一心で「吉野を盛り上げる会」を立ち上げ、寄付金集めを行ったのです。その結果、2013年はついに大会を復活させることができました。それ以来、毎年花火大会の時期が近づくと、富夫さんは寄付金集めのため会の中心となって町民に頭を下げ、直接足を運んでお願いして回っているそうです。

それだけではなく、彼は花火大会の事前PRにも力を入れており、開催一か月ほど前になると町内を流れる吉野川下流の町々に大会日時などを知らせて回るそうです。その方法はとてもユニーク。なんと、吉野川に筏を浮かべ、それにお手製の張りぼてキャラクターを乗せて川を下りながらPRするという作戦なのです。陸路が発達する前、吉野川は山から切り出された杉やひのきを運搬するために利用されてきました。林業に命を懸けた先人たちと同じ方法で花火大会の告知を行うこと、またそんな彼に町民が声援を送ることが、地域の絆を深めるきっかけになっているとのことでした。

ちなみに、富夫さんお手製の張りぼてキャラクターには見事な出来栄えの龍やお花の精など色々あるのですが、中でも見物人を一番沸かせるのは奈良県のマスコットの「せんとくん」なのだそうです。

 

青年団活動で得たもの

会社経営にもそれ以外の活動にも積極的な富夫さんですが、実は物静かな方で、「オレにつてこい!」というタイプではありません。そんな彼の活動力と吉野という地を離れなかった理由を探ると、背景には青年団での活動がありました。

青年団とは、各地域に居住する20~30代の男女によって組織される団体のことで、昭和の頃には日本中の団員たちが未来について熱く語り、地域を盛り上げていました。40年前、富夫さんも青年団に参加し、かけがえのない仲間と演劇という「宝」に出会いました。仲間たちと一緒に演じ、自分のセリフ1つや表情で人の心を打ち、泣いたり笑ったりさせる楽しさを知ったのです。また、演劇によって地域の方々との繋がりも深まっていきました。

青年団活動の一環として、政府が主催する世界青年の船で中国にも行ったそうです。世界の人々との交流を通じてコミュニケーション力やリーダーシップ力を高めることを目的としたこのツアーは、富夫さんにとって自分と吉野の関係を見直す良い機会となりました。「自分の能力を最大限に発揮できる場所は吉野だ」と気づいた彼は、吉野の人に喜んでもらえる事をしたい、恩返しをしたいと思うようになり、今日の活動へと繋がっていったそうです。

 

今取り組んでいること

2020年、年明けから新型コロナウイルスが大流行して世界中が打撃を受ける中、富夫さんも自分にできることは何かと真剣に考えていました。マスク不足が深刻となった際に思いついたのが、0.01ミリのひのきの薄皮で作った「吉野ひのきマスク」でした。

吉野材を薄く削る技術なら誰にも負けないと自負している富夫さんは、ひのきマスクを作るべく寝食を忘れて作業に取り組みました。これが完成するとマスコミに取り上げられたこともあり、ちょっとしたブームになったのですが、知名度や売り上げなどどうでもいいと富夫さんは語ります。「このマスクで誰かが喜んでくれたらそれでいい」その一言が印象的でした。これからも富夫さんはまだまだ新しいことに挑戦していくそうです。お話を伺い、吉野愛とは「人に喜んでもらうこと」ではないかと、少しその本質が分かった気がしました。
 
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竹田以和生

竹田以和生

定年退職後、自宅の裏の畑で野菜づくりをする傍ら、奈良県を飛び回ってエッセイを書いています。

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