よしのーと!

大和上市

地元愛が生んだ上市の交流場「六軒や」

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今回登場いただく吉野人は、島秀次(しまよしつぐ)さん、61歳。

中学高校時代にバレーボールで鍛えたスリムな体。日焼けした精悍なお顔に分厚い胸板。そして頭に巻いたタオルが現役バリバリの職人オーラを発しています。とても61歳には見えません。


吉野に生まれ、青春時代そして今日に至るまで水道工事一筋に吉野で熱く生きてきた、熱血元気オヤジの島さんが取り組んでいるのは、「六軒や」という古民家を使って地域を盛り上げるというホットな活動なのです。さて、どんな活動をされているのでしょうか。

 

ワイワイガヤガヤ「六軒や」

近鉄吉野線大和上市駅から市街地方面に歩くこと数分。昭和の面影が色濃く残る街並みの一角に、吉野杉の板に「六軒や」と墨で鮮やかに書かれた看板が目に入ります。古民家の中を覗くと、町屋風の建物の奥に暖簾が掛けられ、何やら飾り物のように置いてあるブリキ製品やお酒の一升瓶がずらり。

えっ、ここは居酒屋かな?・・と首をひねっていると、「遠慮せんと入って、入ってな!」と、お隣のお家から島さんが颯爽と登場されました。勧められるままに古民家の中に入ると、思わずうなりたくなるような、古民家特有のずっしり感があります。ですが、オシャレな雰囲気と、どこか懐かしさが漂う、不思議な空間がそこにはありました。

聞けば島さんの先代が住んでいた建物を、数年前にリホームして、誰でも気軽に集まれるようにしたのだとか。今風に言えば、民営の「コミュニティハウス」です。看板も自分で書かれたとのこと。でも、島さんは、なぜ地域の人たちがワイワイガヤガヤできるスペースを造ったのでしょうか。

 

地域に溢れる吉野愛

「六軒や」の名前は、この辺りが六軒町と呼ばれていることに由来しています。島さんのご自宅は「六軒や」の隣にあり、そこには「金川工業所」とう看板が掛かっています。金川は屋号で、四代続く水道工事と雨樋工事の老舗です。昔から、地元には無くてはならない存在の工事屋さんでした。祖父の代から作られたブリキ製品が今でも残っています。

ご自宅の「六軒や」は旧伊勢街道に面しており、島さんが子どもの頃は、道の両脇に商店が軒を連ねていて近辺から来る買い物客で溢れていたとのこと。今ではその面影が寂れつつあり、この辺りも、ご多分に漏れず高齢化が進み、ひっそりと時を刻むようになりました。

これではいかん!と島さんはずっと感じていました。吉野川で泳ぎ、野山を駆けずり回ったガキ大将時代。都会に憧れ、大阪の専門学校に通った青春時代。転機が訪れたのは青年団活動に参加し、団長を任された時のこと。いろんなことがありました。でも、地域のお世話をすることで改めて吉野の魅力と底力を感じたのです。

吉野って、やっぱりええとこやん…。そうなんです、島さんは地元愛に目覚めたのです。奥様とは青年団で知り合って、子宝に恵まれ、今や四人の孫のおじいさんになりました。そして、奥様の理解と協力もあって、「自分の子どもの頃の賑わいを取り戻したい」という思いを持つに至りました。

三年前に、「六軒や」をオープンしたところ、ご近所さんたちの憩いの場になったことは言うまでもありません。もちろん酒宴も頻繁に開かれます。中秋の名月には、奥様の手作り料理が振舞われ、カラオケ大会も催されるというスペシャルデイもあります。お酒大好き人間の島さんも、お酌をして回りながら、ボケとツッコミ、笑って泣いて愚痴聞いて…。さしずめ、お笑い演劇の吉野版といったところです。

しかし、島さんの狙いはこれだけではありませんでした。例年、7月の最終土曜日には、「吉野ふるさと元気夏祭り」というお祭りが開催されます。この祭りには、「たてやま」と呼ばれる張り子の人形が展示され、参加者を喜ばせます。その人形と伝統を守るために設立された「六軒町たてやま保存会」の会長を務める島さんは、毎年、この日のために吉野町内の皆さんと、「六軒や」で作品の打ち合わせや製作を行うのです。

つまり「六軒や」は、祭りを通じて、地域の人々の知恵や経験を集め、一つの形にする場でもあるのです。こうした地道な活動で地域の皆さんの吉野愛が更に深まっていきました。

 

世代や国を超えた交流

そして、最近、島さんにとって次のステップに進む画期的なイベントが開催されました。令和元年の夏、旅好きの若者たちが吉野町にやってきたのです。東京に拠点を置く企業「SAGOJO」と吉野町役場が運営する「TENJIKU」という旅人ツアーに参加した人たちです。吉野町を挙げての歓迎ということで、島さんご夫妻も大張り切り。「六軒や」でも交流会が開かれ、ご近所の奥様方や友人たちが喜んで手伝ってくれました。

…ところが、島さんの想定していた以上のことが起こったのです。旅人の若者たちが吉野町にやってくるという話を聞きつけた元気なお年寄りたちが、進んでおもてなし役を引き受けてくれたのです。そして、旅人の若者たちが吉野を去る日、「吉野町の皆さんから元気をいただきました!」と感謝を述べると、「なにゆうてんねん、元気もろたんはこっちの方や」と涙で見送ってくれたのです。

「これや、これが次の目標や!」

島さんの胸にも熱いものがこみ上げてきました。いろんな人に来てもらいたい、もちろん国境を越えて来てもらいたい。そして、みんなが繋がってほしい。

善は急げ、島さんは役場の関係者、町内の宿泊施設のオーナーの皆さんなど、「人を呼ぶことが好きな人たち」と人呼び作戦を練る日々なのであります。とにかく、昨今ブームになっている古民家再生の見本のような空間、それが島さんの宝、「六軒や」なのです。

島さん、内助の功を忘れずに、これからも吉野のために一肌も二肌も脱いで欲しいと思います。上市地区の盛り上げ役、今後も期待しています!

竹田以和生

竹田以和生

定年退職後、自宅の裏の畑で野菜づくりをする傍ら、奈良県を飛び回ってエッセイを書いています。

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