吉野山に花見にきた、ある人物が言いました。
「雨が降りやまないなら、吉野山じゅうに火を付けてすぐに帰るぞ。」
「悪い冗談を…」と言いたくなる発言ですよね。そう言って通じる相手だったら良かったのですが。その人物は、本当に吉野全山に火を付けかねない人物でした。なにをかくそう、その人物は時の太閤、豊臣秀吉だったのですから。
秀吉の花見となると、一人でふらっとなんて気軽なものではありませんでした。大勢のお供を引き連れて、当時の並み居る武将たちとともにやってきます。もう吉野山に到着する前から大変な騒ぎでした。
秀吉は、2つのルートに分かれてやってきたといいます。一方のルートは奈良市経由。花見の日が近づくにつれ、大勢の人が奈良市へ集まってきました。
「おともの者たちは皆、金銀を散りばめたような姿だった。黄金に輝く最高級の織物や、金糸を織り込んだ豪華な布の服を着ていて、一面キンキラキンである。三千人ほどいるだろうか…。」と記録に残っています。
もう一方のルートは、大阪の堺を経て奈良県の当麻寺あたりを通るルート。こちらもまた大人数だったようで、5000人程おられた、と記録に残っています。
さぁ、ふたつのルートでやってきた秀吉ご一行様。吉野の手前、高取城の城下で集合して、いざ吉野山へ。その当時は、そうそう吉野山に桜を見に来た者はいない時代でした。噂に聞く「吉野山の桜」とはどれほどのものか。参加者の気持ちはワクワク。着ている服はキンキラキン。これから始まる花見を全員が楽しみにしています。
そんな矢先でした。秀吉ご一行が吉野山に到着したその日の夕方から、まさかの雨。翌日、翌々日と雨は降り止まず、皆の不満は溜まっていくばかり。とうとうしびれをきらした秀吉は、そばに控えていた僧にこうたずねます。
「このように雨が降りやまないのは、我々一行の花見が、蔵王権現や山の神さまのお心にかなわぬからであろうか?」
僧は答えます。
「吉野山はむかしから鳥や獣の肉を食べないところです。でも今、あなた方が来られてむやみに肉を食べていらっしゃる。だから蔵王権現や山の神さまがお怒りなのだと思いますよ。」
そうなのです。秀吉が生きていた600年以上前から、吉野山は超一級の聖地だったのです。その当時から、超大物の貴族ですら、3ヶ月は身を清めないと吉野山に入れなかったといいます。そんな聖地で、「お肉を食べるなんてありえない」というのが、当時でも当たり前だったことでしょう。
僧からチクチクとイヤミを言われた秀吉も黙ってはいません。それならばと、料理番に肉料理を作らないよう命令し、その上で戯れにこう言ったのです。
「この上で雨が降り止まないなら、吉野山の堂社に火を付けてすぐに帰るぞ」と。
僧はもう真っ赤になって、急いで退室しました。これをみた秀吉はメチャクチャに笑い、僧はひとりもの思いにふけったというのですから…。本当に、メチャクチャな話ですよね。
僧の戒めが功を奏したのでしょうか。翌日は青空が広がり、吉野山は一面の桜に包まれました。これを見た秀吉は大喜び。参加者が思い思いの仮装をしながら花見を楽しむなか、秀吉は参加者をイジりながら吉野山の奥へ奥へ。吉野山の一番奥にあった安禅寺蔵王堂というお寺まで、全山まるっと見てまわったようです。
昔から、吉野山の桜は雪かと見間違うほど、と例えられてきましたが、その桜が炎に変えられてしまっては、たまったものではありません。秀吉様に、無事に満足してもらえて何より。
何ともお騒がせな花見でありました。