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歴史のお話

『万葉集』が語る吉野の神様や仙人

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遠くまでつづく平原と、その周りを山々にかこまれた世界。そんな奈良盆地を、古い言葉で“国中(くんなか)”とよぶと、そして、そのまわりをかこむ山々を“青垣(あおがき)”というと、だれかに教わった記憶があります。

「あの山の向こうには、どんな世界が広がっているのだろう。」奈良盆地ですごしていると、時折、そう感じることがあります。

“青垣”の向こう、国の外に広がる世界。それは、きっと、別の世界であることでしょう。え?そんなことあるわけない?でも、奈良盆地の“国中”の人たちは、たぶん今も、“青垣”の向こうを別の世界だと感じていると思います。

例えば、こんなことがよくあります。さむい冬の日、奈良盆地では雪がふっていない日なのに、屋根の上に雪を乗せて走る車がいたら、こういわれるのです。「あぁ、吉野から来てんなぁ」って。同じ県内なのに、“天候もちがうような場所”というのが青垣の向こう側なのです。

実際、奈良盆地から南にひと山こえて吉野にいくと、確かに世界がかわります。平原の世界から山々がどこまでもつづく世界へと。このギャップを、どうやら1300年も前のひとたちは、こう受け止めたみたいなのです。「仙人や神様の世界に来てしまったのではないか。」と。

およそ1300年前、時の天皇が吉野に離宮をつくられました。そのときから、青垣の向こうにある吉野は、『万葉集』で3番目におおくの歌が詠まれる場所になっていきます。その頃のひとたちが吉野をどのように見ていたのか、歌ならばわかるはず。さぁ、1300年前の人たちの吉野の見方を探ってみましょう。例えば、こんな歌があります。

吉野にある青根が峯には、コケが一面に広がっていて、緑の布を敷きつめたかのよう。この緑の布は、いったいだれが織ったのでしょう。たて糸も、よこ糸もないはずなのに。きっと、「山の神さまでしょ!」というのが、この歌の答えなのだと思います。山の神や、川の神が、寄りそってお仕えしているかのような吉野の離宮。

なんて歌も詠まれるくらい、どうやら『万葉集』のころのひとびとは、吉野の山や川に神々しさを感じていたようなのです。吉野のむかしばなしで、魚とりをしていた漁師のはなしがあったでしょ。木の枝にばけた仙女が、漁師のワナに引っ掛かったってやつ。その後、漁師と仙女は幸せに暮らしたっていうけれど…。もし、その漁師がワナを仕掛けていなかったら、仙女がばけた枝がここまで流れて来ていたはずなのに。そしたら、ぼくが仙女と恋仲になれたろうになぁ。

この歌は、“吉野のむかしばなし”をみんなが知っている前提でつくられています。きっと、この歌に出てくる吉野の仙女のはなしを、当時は多くの人が知っていたのでしょう。仙女って、どんな方だったのでしょうか。むかしばなしになるくらいですから、美しい方だったのでしょうね。そう思ってこの歌を見直せば、きっとこの後、歌を詠んだ側と歌を聞いた側のどちらが仙女にアタックするか、その順番で盛り上がったんじゃないかって妄想してしまいます。

ちなみに「吉野」というと、今では桜が有名ですが、『万葉集』では全くといっていいほど“桜の吉野”は出てきません。

桜が有名になる前、吉野は山と川の世界だった、ということでしょう。そして、その山と川の吉野は、神が宿り、仙人が遊ぶような場所だったのです。

1300年前とはすこし形が変わっているでしょうが、その面影は今も吉野に残っています。雨上がりの谷にわき立つ雲や、ベールの様に川を包む川霧。そんな神秘的な景色たちとともに。
この景色が、いつまでも変わらないといいなぁ。

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