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修験道

悠久の時が流れる櫻本坊での瞑想体験~前編~

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日本屈指のエネルギー・スポットとして知られる吉野山を訪れたのであれば、思い切って非日常的な体験に挑戦してみてはいかがでしょうか。建立から1300年という圧倒的な歴史を誇る寺院で瞑想体験ができるということを聞き、さっそく吉野山上千本にそびえる威厳のある仁王門をくぐってみました。

 

悠久の時が流れる櫻本坊で 自分を知るための瞑想を体験

瞑想とは、「心を静めて無心になり、心身の静寂を取り戻すこと」。お寺で行われる瞑想体験も宗派によってやり方に違いはあるものの、共通する目的は、自分の内面を見つめること。浮わついた気持ちがあるならば原点に立ち返り、胸を痛めている時はその闇に光を灯す、そんなきっかけを得ることができるのだといいます。

「“無”になるとは、何も考えないことではありません。心が何かに捕われているのは何故なのかと自分を観察していくのです。呼吸に集中し、心を無にすれば、見えてくるものや聞こえるものがあります。“無”とは、新たな考えを生みだすものなのです」

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耳に届く読経、ゆらめくロウソクの香り……「本堂の空気にどうぞ身をゆだねてみてください」というのは、『櫻本坊(さくらもとぼう)』のご住職である巽良仁たつみりょうにんさんと、伯舟はくしゅうさんご夫妻。ここは飛鳥時代に大海人皇子(後の天武天皇)の勅願寺であったと伝えられる由緒正しき寺院。また、山岳信仰の開祖とされる役行者えんのぎょうじゃとの縁も深く、山伏文化にまつわる数多くの文化財が保管・展示されています。

瞑想体験といえば、私は恥ずかしながら、後ろから肩をバシッと叩かれるような禅問答と坐禅との区別もついていなかったのですが、ここ櫻本坊での瞑想体験は、「こうしなければならない」という決まりごとや難しい作法はないとのこと。お堂に入る際に「どうぞ右足からお入りください」とご住職からお声掛けを頂いたことぐらいなのでした(※ 入堂時の足さばきは宗派によって異なるとのこと)。

座り方も必ずしも正座である必要はなく、足や腰に負担を感じる人には座椅子も用意されています。正座、胡坐あぐらともに可能で、「自分の体を通じて天と地を結ぶ、そんな心がけで座ってみてください」とご住職の巽良仁さん。本堂の中央に導かれ、読経をはじめられるご住職の真後ろに、いざ鎮座します。

ご住職 巽良仁さんが読経のお勤めを行う

もちろん正座で腰を下ろした私でしたが、緊迫した雰囲気を感じて、しばらく足の窮屈さを忘れてしまうくらいお堂の中で目に入る様々な光景に見とれていたのでした。ご住職の堂々たる姿勢、ムダのない所作。纏う法衣の目の覚めるほどに鮮やかな桔梗色ききょういろ。配置も役割も、そのどれもに深い意味があるのだろうと察する法具の数々。ロウソクの煙が渦を巻くように舞い上がっていく様子さえ、尊いもののように思えて凝視してしまう。

そしてしみじみ感じたのです。ここはなんと「美しさの張り詰めた異空間」なのだろうかと――。

本堂の奥には国の重要文化財に指定されている仏像が並び、それら神さまの領域にはご住職しか手を触れることができないそうですが、お堂内は隅ずみまで塵一つなく清掃が行き届き、実に清潔な気持ちの良さに満ちています。神仏にお仕えするのだから当然なのかもしれませんが、何か形式的なものではなく、誠実さや懸命さといった“心”をとても感じるのです。少しでもゆがみや欠け、たとえばほこりでも見つけてしまったら、きっと私の意識はすぐに現実に引き戻されてしまったでしょう。そういった意味でも、この空間は舞台裏においても神聖でプロフェッショナルな美意識、崇高な信仰の心を垣間見る思いがするのでした。

 

張り詰めた緊張のなかで知る‟無心” 息を吞むような非日常体験

さて、瞑想の時間は、およそ40分。前半はご住職の勤行ごんぎょうを拝聴します。

お経を読み上げるご住職の声がまたとても良く、太くて張りがあり深みのある重低音で威厳をもって私の耳に届いてきます。

鐘の音は耳を抜けて頭の中を駆けまわり、太鼓の音はそれこそ空気を震わせるほど振動する。ロウソクの炎はなされるがままに乱れ、その激しい鼓動と自分の心臓が共鳴していくようで、圧倒されてか冷や汗か、妙な汗が下腹部をつたってハッとします。ズンドン ズンドン と怒涛の連打が続いて、このまま取りこまれていくんじゃないかと一種のトランス感のような不思議な感覚が襲ってくるのです……。

ここでの勤行・瞑想体験には、小さな子供がお母さんのひざに座って参加することもあるといいますが、これほどのド迫力だと子供は泣きだすのではないかと思いきや、微動だにせず集中して見入っているのだとか。そう、確かにこちらの意識をぐいぐいと引きこんでいくライブ感がある。ともすればまばたきすら忘れている自分に「ああそうか……これが‟無心”ということか」と我に返るのです。

前半の“動”の時間が終わると後半は“静”に切り替わり、ひたすら沈黙の時となります。あらためて呼吸に集中し、胸の内を整えると、とたんに木々や風の音色が鮮やかに聞こえ始めます。中でも、季節を伝える虫の鳴き声はあまりに一心不乱で、今この刹那に命を燃やし尽くすかのように一途で邪念がなく、「これぞ無心な生き様か……」と感じずにはいられません。そして、建立から1300年、いくら時代が進もうとも、こんな風物詩や日常の営みは太古の昔から少しも変わらない櫻本坊の風景なのであろうなと、気が遠くなるほどの壮大な時間軸に思いを馳せるのでした。

再び視線を上げて正面の仏像に意識を向けてみると、苦しむ民に手を差しのべ、多くの人に救いの道を示した役行者さまが、意外にも口を半開きにひょうきんな顔をして座っておられる。そうだなあ、どんな偉いお方も私たちと同じ。悟りの道へのきっかけはきっと、答えの見つからない悩みを抱えて胸を痛めておられたからではないのかな。迷い、焦り、恥じて傷つきながら歩むことは果たしてネガティブなことなのだろうか? いや、私はすごく人間らしいと思うのです。心が迷うのは真剣に生きている証拠で、最初から真理を得ている人などいないはず。迷い、焦り、恥じる自分をそのまま認めて、逃げずに直視することが最初の一歩かもしれないなあ……と、そんなことを考えていたら、思わず涙腺がゆるんできてしまうのでした。

沈黙の時間が終了し、最後に、ご住職は櫻本坊の歴史をお話してくださり「あとは本堂内をご自由にご覧下さい」と声をかけて退室されました。そう、私の受講態度をほめることもけなすこともなく(もちろん後ろから肩をシバかれることもなく!)、ああ、この瞑想時間をどう過ごすかは、本当に「参加者それぞれにゆだねられている」のだなあと感じます。ありのままの自分と向きあう時間、それが瞑想だというけれど、ここでは取り繕わなくていい。誰にジャッジされることもない。“ありのままの自分”で素直な気持ちで参加することに意味があるのではないでしょうか。『櫻本坊』での瞑想体験は、どんな自分でも受け入れてもらえる優しい時間だと実感したのでした。

⇒ 【後編につづく】
建立から1300年、歴史のバトンを受け取ったのは、可憐な若き女性後継者

山本 亜希

山本 亜希

1975年、京都市生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業後、海外旅行やグルメ取材、インタビュー記事を中心に東京での執筆活動をへて、2011年から京都市在住。ソウルシンガー、英語講師としても活動。

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