「こんなん花見とちがう。ハイキングやー!!」
ときおり、春の吉野山にそんな叫び声が響く時があります。
そう、吉野山は「山」とついているように、坂が多いところです。しかも、独立した山じゃなくて、紀伊半島に続く尾根の一部分が「吉野山」ですから、奥に行けば行くほどに、山が深まります。よくイメージするタイプのお花見は、吉野山には向いていません。
ホント、こう言ってしまうと、なんで吉野山が桜の名所になったのか、不思議にすら思えてきますよね。
私の思うに、吉野山が桜の名所になった理由は、吉野が秘境の桜スポットだったから、ではないでしょうか。かつて、都が京都にあった頃、多くの歌人は京都に住んでいました。車も電車もない時代、いくつも山をこえた先の吉野は、そう気軽に行けない秘境の地であったことでしょう。そして、その秘境の地には素晴らしい桜が咲くと、伝え聞く場所だったと思われます。
気軽にはいくことの出来ない秘境の地・吉野だからこそ、吉野の桜へのイメージは、言い伝えとともに深まっていったのだと思うのです。なぜなら、今から700年前には、こんなことが書かれる程だったのですから。
「吉野山ってどこにあるの?」と聞かれたら、「ただ、花ときたら吉野、紅葉ときたら龍田って、そう詠むものだと思うから詠むだけで、お伊勢さんのあたりにあるのやら、くまモンの出身地にあるのやら、その場所なんて知らない。」って、そう答えたらいいんだよ。(後略・『正轍物語』より)
そんな、まだまだ吉野が秘境の地だった今から900年前のことです。本当に吉野山で桜をみて歌を詠んだ、西行法師、という歌人がいました。そんな西行法師が詠んだ桜や吉野山の歌を、すこしご紹介しましょう。
吉野山で花見をしていると、分かれ道までやってきた。
よく見ると、去年はこちらの道を通ったと、枝を折ったあとが残っている。
それでは、今年は別の方の道を選んで、まだ見ぬ桜を探しにいこうか。吉野山には、たなびく雲と見間違えそうなほど桜が咲いている。
あの桜が散ってしまうと、その花びらは雪に見えてしまうのではないかなぁ。桜にあこがれる気持ちが抑えられない。
そんな山桜が散ってしまったら、心は身体に帰ってこれるのかな。
西行が残したこのような詩を眺めていると、吉野山の桜を見つける嬉しさや、桜の清らかな白さ、桜への強いあこがれや、すぐに散ってしまうはかなさなどを、西行は愛したんだろうと感じます。
そんな西行があこがれた吉野の桜は、ヤマザクラ。ヤマザクラの花言葉は、「あなたにほほえむ」「純潔」「高尚」「淡白」「美麗」なのだそう。これらの花言葉は、なんだか西行の歌に通じそうですよね。歌と桜を通じて、何百年も昔の人と心を通い合わすことが出来るなんて…。
また、西行の歌にはこんなものもあります。
吉野山で、花びらが散った桜の根元に置いてきた心は、私を待っているだろうか
心を置いてきた、だなんて、まるで恋愛小説の世界。ずっとあなたを想っています、と言っているようなものですね。フランスでは、桜の花言葉が「私を忘れないで」なのだそう。桜への思いは、国をも超えてしまうのかもしれません。
ちなみに、吉野山の近くに住んでいると、春の吉野山には人が多いから、大変だなと感じてしまう時があります。そんな地元あるあるまで、西行は歌にしているのです。
散らない間は、盛んに多くの人がやってくる。
桜の花に、春が感じられる吉野の山だなぁ
みなさまも、春の吉野山へお越しの際は、人の多さにお気を付け下さいね。