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橿原神宮創建の歴史をたどる

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市民の憩いの場・橿原神宮

近鉄橿原神宮前駅に降り立ち中央出口から北西に延びる大通りを行くと、豊かな緑の森と大きな鳥居が見えてきます。橿原かしはら神宮です。ここには初代天皇である神武天皇とその皇后・姫蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)が祀られています。

表参道を進むと右手に現れる南神門。そこをくぐれば広大な前庭と畝傍山を背景とした外拝殿が現れます。掃き清められた玉砂利も美しく、清々しい空気に満ちあふれた空間です。お正月や祭典の日には多くの人でにぎわう橿原神宮ですが、「ハレの日」でない普段の姿もまた良いものです。

西参道沿いには深田池と呼ばれるため池が広がります。飛鳥時代に造られたといわれているこのため池は、野鳥の楽園でもあります。サギやが飛び交い、冬にはカモも飛んできます。

遠くまで広がる森の緑と蒼い空の下、えんじ色に塗られた近鉄南大阪線の電車がガタゴトと走っていくのが小さく見えます。拝殿の厳かな雰囲気とうってかわって、ここではゆったりとした時が流れます。

甲子園球場約13個分の広さがある境内の外苑は、カシやシイなどの常緑樹を中心とした深い緑に覆われています。カシの木が多いこの森は、夏には天然のクーラーとなり、秋にはドングリの名産地になります。アラカシ、シラカシ、イチイガシ…秋、子どもたちが袋をもって、一心にドングリを拾い集める姿はとても可愛らしいものです。

森の中に造られた芝生の広場は、散歩をしたり楽器の練習をしたりと自分の時間を思い思いに楽しむ人々の憩いの場所です。
 

橿原神宮の創建

橿原神宮のご祭神である神武天皇は、紀元前660年1月1日に畝傍山の東南、橿原宮で即位したと『日本書紀』に記されています。

様々な顔を持つ橿原神宮の創建の歴史は、大きく2つの時期に分けることができます。
まず、幕末の文久3年(1863年)、神武天皇の御陵が畝傍山の東北に定められ整備されました。明治に入ると、神武天皇が即位した橿原宮跡を顕彰する碑の建立や神社建築を願う気運が高まり、明治政府が神社建築を認可します。明治23年(1890年)、明治天皇から下賜された京都御所の賢所と神嘉殿が畝傍山の東南に移築されて本殿と拝殿となり、橿原神宮が創建されました。創建当初の広さは2万159坪で、今とは違う松林に囲まれた姿でした。

その50年後の昭和15年(1940年)。神武天皇即位2600年を祝う国をあげての奉祝記念事業として、社殿の修築や境域と神武天皇陵の拡張整備などが行われました。

拡張工事に先立って行われた発掘調査では、縄文時代の土偶や炉跡、埋葬されたと思われる人骨のほか、イチイガシの巨樹根や、イチイガシ、スダジイ、トチ、クルミなどの果皮や核が多く見つかりました。また東北地方を中心に関東・中部・東海・北陸・中国地方などのものに似た土器も多数出土しました。橿原遺跡と呼ばれるこの遺跡の発見により、縄文時代ここは広大なカシの原であったことや、西日本と東日本を結ぶ交流の中心地であり、人が集まりマツリが行われたことなどが伺い知れるようになったのです。

境域の拡張にあたっては、周辺神社境内の木にカシが多いこと、また橿原かしはらという地名から、昔の姿に戻すことを目標にカシ類が多く植えられました。植樹された約76,000本の樹木のうち約22,000本は全国から寄せられた献木でした。また、建国奉仕隊が組織され、境域拡張工事と外苑建設の造営作業には勤労奉仕で全国から多くの人を動員し、7200団体、延121万4000余りの人が参加したそうです。作業延日数500余日をかけ、宮域は約16万坪に拡張されました。

さらに、神宮周辺には大運動場・建国会館・野外公堂・弓道場・橿原文庫(旧県立橿原図書館)などの諸施設も作られました。道路が整備され、八木駅から南下していた大阪電気軌道(通称・大軌)の畝傍線は約300m東に付け替えらました。廃止された久米寺駅の位置に作られた橿原神宮駅には、大軌線と大阪鉄道線が乗り入れることになりました。これは現在の近鉄橿原線と南大阪線にあたります。現在の橿原神宮前駅周辺の原型がこの時期に形作られたのです。

 

紀元二千六百年記念行事

昭和15年の奉祝行事は空前の盛り上がりをみせました。
正月三が日の参拝者は前年の20倍である125万人。紀元二千六百年奉祝紀元節記念大祭が行われた2月11日の紀元節(今の建国記念日)では、約70万人が参拝しました。6月には昭和天皇が御親拝され、各種団体の全国大会が橿原で催されました。当時の橿原の賑わいは大変なものだったようです。

戦後70年以上の月日が経った今、多くの人の手によって植えられた苗木は大きく成長し豊かな森に育ちました。神宮の森に沿って走る県道161号線は緑の長いトンネルとなり昭和62年「日本の道100選」に選ばれました。戦前作られた大運動場は、陸上競技場や野球場などのある橿原公苑となりスポーツを楽しむ多くの人であふれています。

日本のはじまりの地とされる場所に建つ橿原神宮。
そして、戦前、戦中、戦後を経て、市民の憩いの場として育った橿原神宮のカシの森。
日本がたどった歴史に思いを馳せながら平和への祈りと共に次の世代へ受け継いでいきたい大切な財産です。
 

橿原神宮・橿原神宮森林遊苑

住所:奈良県橿原市久米町934
TEL:0744-22-3271
HP:http://www.kashiharajingu.or.jp/
アクセス:近鉄橿原神宮前駅下車、徒歩約10分

ウズラたま子

ウズラたま子

奈良生まれの奈良育ち。丁寧な暮らしを心がけているが、のんびりした性格がたたり、最後には丁寧さを捨て去ってしまうどんくさい日々。図書館、古い町並み、ラジオが好き。歴史とお芝居が大好き。2児の母。

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