近鉄岡寺駅から明日香村へとのびる県道155号。この道を東へ行くとひょっこり現れるのが「史跡 川原寺跡」です。
大きなカシの木と飛鳥川のせせらぎ。時おり響くお寺の鐘の音。心和むこの場所は、お弁当を広げるのにもぴったりの場所です。
しかしこの広場、実は歴史ミステリーの宝庫でもあるのです。
今回はこの「史跡 川原寺跡」の謎と魅力に迫りたいと思います!
かつては「飛鳥の四大寺」と呼ばれた川原寺
川原寺は「弘福寺」とも呼ばれ、七世紀半ばに建てられました。天智天皇が、母・斉明天皇の菩提を弔うために建てたという説が有力ですが、不思議なことにその創建について記された文献は残されていません。川原寺の名が歴史上に初めて出てくるのは日本書紀。
653年6月に「僧・旻のために天皇が多くの仏像を川原寺に安置したが、これは山田寺であると記した本もある」との記載があるものの、この時点ですでにあやふやな情報です。他の飛鳥の大寺については、いつ誰が建てたのかをきちんと記している日本書紀ですが、なぜ川原寺についてはこれほど情報が少ないのでしょう。当時の川原寺は、正史には取り立てて書くほどのこともないお寺だったのでしょうか?
次に川原寺の名前が出てくるのは673年。
「是の月に、書生を聚へて、始めて一切経を川原寺に写したまふ」とあります。
写経といえば、当時は国家の一大プロジェクトです。それが初めて行われた場所が川原寺だった、とあるのです。
それ以降に出てくる川原寺についての記載は、「新羅の客をもてなすために川原寺の伎楽団を派遣した」「天武天皇の病気平癒の祈祷をした」「持統天皇の法要を営んだ」など、どれも国家的仏事の場面。わずかな記録をつなぎ合わせるだけでも、川原寺は飛鳥時代を代表する「飛鳥の四大寺(大官大寺、薬師寺、飛鳥寺、川原寺)」だったことがわかります。
しかし時は流れ、都は平城京へと移ります。その際、四大寺のうち川原寺だけがなぜか飛鳥に留まり、その後徐々に衰退していったのでした。
平安時代には、川原寺は弘法大師が京都と高野山を行き来する際の宿舎として利用されました。しかし、歴史の表舞台に返り咲くことのないまま時は過ぎ、1191年5月2日。九条兼実の日記『玉葉』によると、この日川原寺は焼失したとのことです。この後復興されたものの、以後も二度の火災に見舞われ、ついには廃寺となってしまったのです。
川原寺の法灯を引き継ぐ弘福寺
現在、川原寺の中金堂があった場所には真言宗豊山派 弘福寺が建てられています。川原寺の法灯を継承する弘福寺の本堂を、住職の扇谷明英さんに案内していただきました。
住職によると、現在の弘福寺本堂の創建は江戸時代。しかし、ご本尊の十一面観音像と十二神将は平安期に活躍した聖宝の作とされており、持国天、多聞天(重要文化財)は弘法大師作と伝えられているそうです。
「川原寺の創建は飛鳥時代ですから、ご本尊は今のものとは違っていたのでしょう。わからないことが沢山あるんですよ。川原寺の裏山からは、三尊塼仏が千数百点見つかりました。金箔を貼られたこの塼仏が、中金堂の壁一面に張り巡らせてあったようです」と住職は教えてくださいました。
展示ケースに収められた八葉蓮華文の軒丸瓦は、「川原寺式軒丸瓦」と呼ばれる飛鳥時代を代表する有名な瓦です。かつてここに建っていた中金堂のきらびやかな姿が目に見えるようです。
また、弘福寺の本堂の下には「めのう石」と呼ばれる白大理の礎石が28個残されています。かつて川原寺の中金堂の柱を支えていたこの礎石は、中大兄皇子が、滋賀の石山寺付近から運んだと伝えられているそうです。
現在の弘福寺
飛鳥~平安時代のお宝がたくさん眠っている弘福寺の本堂が常時一般公開されるようになったのは、現住職の代になってからのことなのだそう。
「私、3人姉妹の次女なんです。お寺の娘として育ちましたが、何も知りませんでした。でも数年前に父が突然亡くなった時、歴史が埋まっているこの大好きな景色を多くの人に知ってもらいたいと思い、お寺を継いだんです。
それまで全く別のことをしていたんですけど、いきなり剃髪して、ポンと本山にいきました(笑)なので、まだ仏門に入って5~6年です。でも、皆さんにちょっとでも明日香の魅力が伝わったらいいなと思って一生懸命やっています。皆さんには変わった住職やなって思われているかもしれませんけど(笑)」
笑顔で茶目っ気たっぷりに話す住職は、今、川原寺(弘福寺)に新しい風を次々と吹き込んでおられます。
写経体験も明英住職のアイデアのひとつ。日本で最初に写経が行われたという川原寺に思いを馳せながらの写経は、他では得られないここだけの贅沢です。
私も心を落ち着けて、何年かぶりに筆をとりました。雨音が吸い込まれるような静けさの中、一文字一文字と向き合った後は心地良い疲れと充実感で気持ちもすっきり。書き終わった写経は、ご本尊の中に収めていただけるそうです。写経体験の後にお抹茶とお菓子をいただけるコースもあり、予約をすれば和風御膳をいただくこともできます。
史跡周辺には「堂ノ前」「ヤケモン」「ロウモン」など かつての川原寺を偲ばせる小字が多く残っています。上の写真は、東南門があったあたり、小字で「トナミ」と呼ばれる場所にひっそりと建つ龍神社。
地元の伝承をまとめた『明日香村の大字に伝わるはなし』によると、この龍神社はかつて弘法大師が龍王を招待した場所とされており、神聖視されているそうです。村人の中には、先祖から「川原寺の貴重な遺品が埋められている」と伝え聞いている人もいるのだとか。
国家が庇護した国際色豊かな仏教寺院は時代の波にもまれて姿を消しましたが、その記憶は歴史の中で形をかえながら、子から孫へと大切に語り継がれています。明日香という土地が持つ豊かさの一端に触れた思いで、のどかな風景を後にしました。
史跡 川原寺跡(かわはらでらあと)/仏陀山 弘福寺(ぐふくじ)
住所:奈良県高市郡明日香村川原1109
TEL:0744-54-2043
料金:
入山料 300円
写経 般若心経 1000円、十句観音700円、宝号写経300円
食事は完全予約制
アクセス:
近鉄飛鳥駅または橿原神宮前駅より明日香周遊バス(赤かめ)に乗車
岡橋本下車徒歩10分 川原下車徒歩2分