「奈良県吉野町の特徴は?」と聞かれたら、酒好きの町民は「酒蔵が3蔵もあること!」と答えるかもしれません。そう、吉野町内には日本酒の酒蔵が3蔵もあるんです。
その中でも最も古い歴史を持ち、230年以上もの長きに渡ってこの地で酒造りを行っているのが北村酒造株式会社。創業当時から守り続ける代表銘柄「猩々」の味と、代々の代表が襲名して名乗る「北村宗四郎」の名前を知る奈良県民は多いと思います。
北村酒造と吉野林業
北村酒造が蔵を構える吉野町は、安土桃山時代から現代に至るまで林業が盛んに行われてきた土地。そんな町で生まれた酒蔵だからこそ、その発展を語る上では「吉野林業」を外すことができません。
実は、北村酒造のルーツは林業で大きな財を成した大林業家・北村家にあります。1788年(天明8年)、創業者である初代・宗四郎は父の木屋又左衛門(「木屋」は木を扱う商売をしていたことに由来する屋号)に分家を許され、「山で働く人々が楽しむための酒を造りなさい」と酒造りの道具と酒造株(酒造りを行う権利)を買い与えられました。娯楽が少なかったその当時、宗四郎の造る酒は林業従事者や木材を扱う吉野の商人の間で「木屋の酒」と呼ばれて愛され、地元に根付いていったそうです。
ちなみに、節が少なく年輪が細かいため中身が漏れにくく、酒蔵の間で重宝されていた吉野杉の酒樽をふんだんに使用できたのは、宗四郎ならでは。大林業家一族出身であり、酒造りの傍らで林業を営んでいた彼だからこそ、良質な吉野杉をふんだんに使うことができたそうです。
北村酒造と林業(および川下産業である製材業)のつながりは他にも。日本酒は製造の過程で、不純な香りや色を取り除くために活性炭で濾過を行います。その活性炭を、木材加工の工程で出る“おがくず”から製造する方法を日本で初めて開発したのが、北村酒造の関連会社なのです。
能の謡曲にちなんで命名された代表銘柄「猩々」
誕生以来「木屋の酒」と呼ばれて親しまれてきた北村酒造の日本酒に、「猩々」という名前がついたのは明治時代。
能が好きだったという4代目宗四郎が、能の謡曲『猩々』の「親孝行な息子が、想像上の妖精・猩々からいくら酌んでも尽きず、いくら呑んでも変わらない大きな酒壷を贈られた」というストーリーにあやかって、酒銘を「猩々」と名付けたそうです。
発砲性の日本酒が昨今人気となっているように、時代と共に人々の味の好みは変化していきます。しかし「流行りや時代に媚びない酒」を造ることをモットーとしている北村酒造では、流行を追って味を変えることはせず、代々受け継がれる味を守っています。
しかし、商品ラインナップを創業当時からまったく変えていない…というわけではありません。現在販売されている商品には、「猩々」と名のつくものだけでも原材料や精米歩合、アルコール度数の違いなどによって「猩々 吉野」「猩々 上撰」「純米大吟醸 猩々」など様々なバリエーションが存在します。
また、家族やご近所さんが寄り合って杯を酌み交わすことが減った近年では、一人暮らしの方にもピッタリな180mlや300mlの飲みきりサイズ商品の販売も行っているそうです。
修験道にちなんだ「鬼酒」シリーズ
ところで皆さん、吉野町が修験道と深い関わりがあることをご存じでしょうか。吉野山にある修験道の総本山・金峯山寺は、修験道の開祖である役行者によって創立されたと伝わっています。本名を役小角という彼は、元々悪事を働いていた前鬼と後鬼という2匹の鬼を改心させて弟子にしていたそうです。
この物語にちなんで造られたのが「鬼酒」と呼ばれるシリーズ。2021年2月現在、使用している原料米と精米歩合が異なる6つの銘柄が展開されています。
最初に誕生したのは、酒造好適米「山田錦」と「五百万石」を原料とした純米大吟醸酒「前鬼」と「後鬼」でした。その後、もう1つの酒造好適米「雄町」で造った純米大吟醸酒「小角」が仲間入りし、3大酒造好適米それぞれで造られた、修験道の3大スターの名前を冠した日本酒が勢揃いしたのです。
しかし、酒造りに使われる酒米は3大酒米の他にもたくさん存在しています。また、同じ酒米でも精米具合によって出来上がりの味わいは大きく異なるので、北村酒造では更なる「鬼酒」シリーズの開発に取り組みました。そうして新たに加わったのが、前鬼の別称である「善童鬼」、後鬼の別称である「妙童鬼」、2匹の子供の名前である「伍鬼上」の3銘柄。
別称や子供の名前まで出てくると、修験道をよく知らない方は混乱してしまいますよね…。しかし、それぞれの人物(?)とその関係性について少しだけ学んでから「鬼酒」シリーズを手に取ると、「小角・前鬼・後鬼の3本はセットで買わないと!」や「前鬼と善童鬼を飲み比べてみよう」など、いつもとは少し違った日本酒の楽しみ方ができると思います。
ちなみに、「鬼酒」シリーズは今のところ6銘柄が展開されていますが、前鬼・後鬼には多くの別称があり、2匹の子は他にも4匹いたとされているので、今後シリーズに新たな銘柄が仲間入りする日が来るかもしれません。
吉野の歴史と文化が詰まった北村酒造の日本酒
「猩々」をはじめとする北村酒造の日本酒や酒蔵の成り立ちには、吉野の歴史や文化が詰まっています。皆さんがもしどこかで「猩々」を提供する飲食店に出会ったり、吉野を訪れた際のお土産として北村酒造の日本酒を購入したりした際にはぜひ、その味だけでなく背景にあるものにも思いを馳せてみてください。