初心者一家が明日香の棚田で稲作デビュー!~田植え編~はこちら
奈良県明日香村・稲渕の「棚田オーナー」となり、米作りに初挑戦した私たち一家。泥に足をとられながら奮闘した田植えから4ヶ月余り。植えた直後は小さく揺れていた苗が、夏の日差しの中で濃い緑へとたくましく成長し、見事な黄金色の稲穂を付けました。
酷暑の中、流れる汗をぬぐいながら行った草刈り作業も、全てはこの日の収穫のため。水を張った田に映る山影、季節ごとに変わる鳥の鳴き声、ユーモラスな案山子に棚田を彩る彼岸花…。まるで絵本の新しいページを開くように、訪れる度に違う姿を見せてくれた棚田。今日はいよいよ収穫の日です!
自分たちで育てたお米をいざ収穫!
昔ながらの方法で米作りをするオーナー制度ですが、田植えと同様に稲刈りも手作業で行います。使うのは、歯の部分がのこぎりのようにギザギザとした「稲刈り鎌」。初心者集団が見守る中、左手で稲をぐっとつかみ、根元から5㎝ほど上をザクっと一息に刈り取るインストラクターさん。
思いのほか鋭い切れ味に「ひゃあ!」とざわつく皆の前で、今度は刈り取った両手いっぱいの稲を束にして、くるっと藁で器用にまとめ上げます。あっという間に3、4束ができあがりました。
次はいよいよ実践です。はらはらする私の気持ちをよそに「ザクザクとした感触が気持ちいい!」と、調子にのってどんどん刈り進む子どもたち。大人も負けじと刈り取ります。
稲を束ねるために使う藁は去年のもの。稲刈り、脱穀、藁の処理までを機械で一気に行うことのできる昨今では、この藁の束が貴重品となっているのだとか。
ところでこの作業、結構、腰にきます…!
まとめあげた稲は、天日干しにしていきます。まず、田んぼの真ん中に稲を干す場所をつくります。3本の木を組んだ「アシ」を両端に立て、それに長い竹や木の棒を渡し、そこへまとめた稲を掛けていくのです。
「はざかけ」や「だち」と呼ばれるこの工程で、じっくり2週間ほどかけて乾燥させると、保存の効く美味しいお米になるのだそう。多少不格好ながらも、私たちもなんとかはざかけができました。
棚田オーナー歴が長い上級者さんの作業を見せていただくと、うーん、さすが!稲の切り口が、びしっ!と揃っていて素晴らしい。美しい日本の原風景を作るにはまだまだ修行が足りない我が家のお米ですが、おてんとう様はそんな初心者一家の田にも分け隔てなく降り注ぎ、2週間後、稲は見事に干しあがりました。ありがたや~。
さて次の作業は、乾いた稲から籾の部分を外す「脱穀」です。この日は機械を使って、オーナー総動員で挑みます。ぐおおおお!とうなり声をあげる脱穀機。天日干ししていた稲を通すと、籾付きのお米が袋の中にザクザクと溜まっていきます。米袋を計測器まで運ぶのは結構大変ですが、重ければ重いほど嬉しい気持ちになります。
計ってみると、米作り初年度となる2020年に我が家の区画100㎡から獲れたお米は40㎏弱でした。
この後、籾摺りをしたものが「玄米」で、そこから更に精米して糠を取り除いたものが日頃食べている「白米」です。
それにしても、この作業を昔は全て手作業でやっていたのか…と思うと気が遠くなるようです。歴史の授業で「稲作が広まった弥生時代。稲穂の刈り取りには石包丁が使われ…」などと習いましたが、コンバインどころか鎌もない時代から、茶碗一杯のごはんを口にするまで、私たちのご先祖がどれほどの苦労をしてきたかを想像すると、簡単にお米を食べられる今の世の中のありがたさが痛いほど身に沁みます。
さて、お米を抜き取った後の藁も大切な資源です。牛の飼料とする藁は、乾燥した状態で保存しておくために「ススキ」とよばれる藁の集積所に姿を変えます。
田んぼの真ん中に木で土台を組み、そこへ藁の束を1つひとつ結わえていきます。ある程度の高さになれば、その上に乗り、身体の重みで藁を押さえていきます。それを繰り返し、3メートルほどの高さになったところで藁を結わえ付ければ「ススキ」の完成です。
できあがった「ススキ」は「三匹のこぶた」などの絵本に出てくる藁の家にそっくり。絵本の中では、オオカミに一番に吹き飛ばされてしまう藁の家ですが、ススキは大の大人がのっても潰れません。
そういえば、昔は藁を編んで色んなものを作っていたっけ…。わらじ、わらぐつ、みの、笠、ござ…。お米を入れておく米俵も、藁で編まれて作られています。田んぼからできるのは、お米ばかりではない。日本人の生活を取り巻くいろんなものが田んぼから生まれるもので成り立っていたんだ、ということに改めて気付かされました。
こうして作られた「ススキ」は、このままの状態で次の春の田おこしまで冬を越します。あぁ、この景色!今まで何気なく通り過ぎていたこの景色は、こうやって作られていたんだ、と感無量です。
農作業の中で生まれた人々の協力と神々への祈り
棚田の米作りに携わって感じたこと。それは、「米作りは一人ではできない」ということでした。割り当てられた区画は1つであっても、田に水を引くための水路の掃除は、皆の力を合わせなければできません。
荒田起こし、苗代作り、畔塗り、代掻き、田植え、草刈り、稲刈り、脱穀、籾摺り…。これらを全て手作業でやっていた昔を思えば、なおさら集落全体で助け合いながら行わないと、米作りはとても立ち行かなったことでしょう。そして、それだけ手間暇を掛けたとしても、自然の力に左右されてしまい思うよう収穫ができないという現実があります。
今年、奈良は稲の茎の水分を吸うウンカという虫の大きな被害を受けました。収穫を間近にしながら、真ん中がごっそりと枯れてしまった田の姿は胸が痛むような景色でした。
雨が降らない、気温が上がらない、人の力ではどうしようもない出来事に直面した時、人は自然と「祈り」、感謝の気持ちを込めて「祝う」ことを繰り返してきたのでしょう。稲渕には、その「祈り」と「祝い」を感じられる場所が今も大切に残されています。
棚田の近くを流れる飛鳥川では、毎年1月に「子孫繁栄」「無病息災」「五穀豊穣」を祈って、綱で結界をはる神事が古くから伝わっています。その綱を編むのに使われるのは、棚田で出来た藁です。豊かな恵みをもたらした稲の藁は、生活の道具を作るばかりでなく、神仏へ祈りを届ける象徴を形作るためにも使われているのです。
また稲渕に鎮座する「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社(あすか かわかみ にいます うすたきひめの みこと じんじゃ)」は、皇極天皇が雨乞いを行ったとされている場所です。江戸時代、稲渕の人々がこの神社に奉納した「南無天踊り(雨乞いのお礼の踊り)」の大絵馬には、太鼓や鐘を打ち鳴らして賑やかに踊る人々の様子が描かれています。
いにしえの時代から守られてきた稲渕の棚田。この場所を耕してきた人々は、季節と共に移り変わる美しいこの景色をどんな思いで見つめてきたのでしょうか。沢山の汗と祈りと喜びと…。米作りは、日本の文化そのものだということを、身体を通じて学んだ棚田での体験でした。
稲渕集落
住所:奈良県高市郡明日香村稲渕
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社
(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)
住所:奈良県高市郡明日香村稲渕698