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森林

私には奈良があります ~河瀨直美監督の世界観~

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「私には奈良があります」―。

河瀨監督にとって、奈良は心の拠り所。気持ちをリセットして再出発できる力を蓄えられる場所です。吉野を舞台に撮影された映画『Vision』には、吉野の未来に向けた再生への想いが込められています。

奈良を撮り続ける監督の作品には、いずれも土地とそこに暮らす人々との関係が描かれています。
インタビューでは監督の映画製作における信念や世界観について伺いました。
  

河瀨監督の映画の作風

記者:「『萌の朱雀』『沙羅双樹』『朱花の月』『殯の森』『光』、そして『Vision』。拝見してきて思うのは、いずれもドキュメンタリーでありながら幻想的に描いていること。重いテーマを扱ってはいますが〝救い〟を感じます。独特の作風ですね」

河瀬:「確かに、わたし独自のものだと思います。全国的にも、世界的にも珍しいのではないでしょうか。『河瀬組』に関わるスタッフたちもはじめはびっくりして、拒否反応を示すことがあります。物事を「待つ」手法は、時に「仕事」をさせてもらえないことにも繋がるからです。『Vision』でもジュリエットには了解を得て、お寺で生活してもらいました。確かに、映画の世界そのままの環境で生活することはとてもハードです。俳優さんにとっても、そうすることが表現上どれだけプラスに働くか分かりませんし、スタッフも同様です。しかし、私の場合は、そこに暮らして、自分の記憶に刻んでいく方法を取ります。幸いジュリエットも、フランス人プロデューサーも理解を示してくれ、生活体験をしてもらいました。きっとあの時の体験が心に刻まれたのでしょう、今でも『私の中にはいつも吉野があるわ』と言ってくれます」

記者:「俳優陣が現地で生活体験をするスタイルは一貫したものなのでしょうか」

河瀬:「はい。『萌の朱雀』の時からです」

記者:「セリフ(言葉)に真実味を込めるためなのでしょうか」

河瀬:「そうです。主演女優のジュリエットが即興で話す部分がありますが、それは吉野の生活体験があったからこそなんです」
  

心に響くセリフの数々

記者:「いくつか素敵なセリフがちりばめられています。たとえば、『この世界の一部なんだから、それで充分』。詩の朗読を聞いているようです。これは〝人間は小さな存在であり、自然を畏れ敬わなければならない〟といった意味でのメッセージでしょうか」

河瀬:「人間はすべてをコントロールできるといった間違った考え方を抱いて生きているよう思えますし、人間の都合で物事が回っているようにも感じています。日本は災害の多い国ですので、災害を通して〝神の存在〟を再認識する経験も多いのではないでしょうか。山守の男・智(永瀬正敏)はそのことを肌身で感じていることを表現しています」

記者:「もう一つ、『死は長い眠りの一部』という言葉。〝再生〟を予言する言葉に聞こえます」

河瀬:「一つの生命への期待と言うのでしょうか。たとえ肉体が無くなって、話すことができなくなったとしても、残された人の心の中にはいつまでも〝その人〟が生き続けます。残された者たちの生きる指針を示します」

記者:「そのセリフのシーンでは、山を焼き払う火が登場します。神聖な火をもって森を焼き払う。誤った方向に進んでしまったこの星を、火によって浄化する。つまり、火の神によってこの星が再生されると解釈したのですが」

河瀬:「『美しき日本』の収録で行った宮崎県では、暮らしの中に神が存在していました。宮崎は奈良と同じ神話の国です。たとえば、猟師と獣との関係。獣の命を頂くわけですから、大量に獲ったりはしません。森の中の決められた場所で決められた数だけといったバランスの上で狩猟が行われています。焼畑も同様で、一回土を焼いてリセットすることで活力が戻ってきます」

記者:「撮影の際に、吉野では不思議な体験をされたと伺いましたが」

河瀬:「映画では、私有地の山林をお借りしての撮影となりました。脚本を書いた後で知ったのですが、かつてあの場所には火の神が祀られていたらしいのです。知らないまま登場させた火でしたが、ちゃんとした裏付けがあったんです…」

記者:「監督が火の神を呼び寄せたのでしょうか?」

河瀬:「どうなんでしょう…しかしあの場所に『モロンジョの木』があって、その根元に石仏。何かに導かれているようで、とても不思議な気持ちになったのは確かです。」
  

映画がコロナの出現を予言!?

記者:「『Vision』は英語でもフランス語でも同じ言葉です。日本語訳となるといかがでしょう」

河瀬:「タイトルに込めたのは〝明るい未来〟や〝眼差し〟といった意味です」

記者:「この作品で提起した問題は何だったのでしょうか」

河瀬:「このまま自然破壊を続けると人類は滅亡してしまいます。なんとしても阻止しなければなりませんよね。今のコロナ禍を見ても、来たるべき時が来たという感じです。みんなが連携して乗り越え、次の未来に踏み出さないといけないはずです。コロナは一つのきっかけだと考えています」

記者:「映画は今の危機的状況を予言していたかのようですね」

河瀬:「はい、結果的にそうですね」

記者:「今回のコロナ禍は、社会構造そのものを変えてしまう可能性があるように思います」

河瀬:「世界的に都市部に物が集中し過ぎていることから、都市封鎖によって都市の経済が大打撃を受けています。仮に、物が地方都市に分散していたらダメージも軽減されますし、リスクを分散することは結果的に最小限の犠牲で済みます。中央ではない〝地域〟というすばらしい宝物を守り続けることが私の理想です。育てたいと考えているのは、互いに顔が見えて、思いやることのできる関係です」

記者:「監督にとって〝奈良〟とは何でしょう。中央ではない地域として」

河瀬:「私には奈良があります。現在は、全世界的にも厳しい環境にありますが、奈良は心の拠り所。心を静めて暮らすことができ、再び飛び出して行ける力を蓄えられる場所です。とてもありがたいと思っています」
  

監督にとって大切なこと

記者:「タイトルに使われた朱雀や沙羅双樹、朱花、殯などに日本語の美しさを感じます。こうした言葉のセンスはどうやって鍛えられたのでしょうか」

河瀬:「高校時代から古語辞典が好きで、よく眺めていました。わからないことや、未知のものを追及する知識欲旺盛なタイプで、よく先生を困らせました。そんな気質が言葉に向かったんです。映画のタイトルに選んだそうした言葉が世界に広がれば、あらためて日本語の豊かさを知ってもらえるのではないでしょうか」

記者:「『殯(もがり)』などは万葉の時代の言葉ですね」

河瀬:「高貴な方が亡くなった後、長い間安置して別れを惜しむ時間のことで、古代の日本にはこうした時間が確かにありました。〝喪あがり(=喪が明ける)〟が語源で、悲しい時間もやがては過ぎ去るという感じを受けます」

記者:「映画には回想シーンも多いですね。エピソード的に、映画を見直しながら、つながりを解き明かす楽しみがあります」

河瀬:「私は、頭の中で過去を回想したり、未来を想像したり、ここにいない人のことを思ったりします。皆さんもそうではないでしょうか。そのため、映画の中ではあくまで〝今〟を思ってもらえるような作り方をしています」

記者:「対話で作っていく『かたつもり』の手法がやはり原点ですか」

河瀬:「『かたつもり』は日常を客観的に見せることができた作品でした。ドキュメンタリーは、撮影者と対象者の距離感が重要です。ですから、はじめはカメラを持たずに会話を重ねることによって、相手の考え方を理解して、心を開いて頂くようにしています。2021年開催予定の東京オリンピックの公式映画、総監督として、選手たちや大会関係者の皆さんとの距離感を縮めてゆくことを大切にしたいと思っています」

記者:「俳優の皆さんに映画そのものの環境で生活体験を求めるのも、そのためなのですね。監督独自の手法について理解することが出来ました。本日は誠にありがとうございました」

風信子(ふうしんし)

風信子(ふうしんし)

古代、中世、近世、近代と時空間をトリップできるのが奈良の魅力。とりわけ吉野は、多くの貴人たちが住まいして文雅の花を咲せたところです。ゆかしき香を聞きながら自然をめぐる旅人であり続けたいと思います。

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