萌の朱雀(1997年)
監督・脚本/河瀬直美
南方を守護する神獣とされる「朱雀」。河瀬監督は、「萌の朱雀」で取り上げた奈良中南部の西吉野村(現・五條市西吉野町)を、朱雀によって守られた俗世とは異なる世界と見ていたのかもしれません。
未完に終わった「五新線」
1939(昭和14)年、奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ鉄道「五新線」の建設がはじまりました。工事は太平洋戦争中に中断されたものの、のちに再開して昭和34(1959)年には五条駅から西吉野村城戸まで路盤が完成しました。本来の計画ではさらに南進させる予定でしたが、木材輸送を目的とした路線にも関わらず林業不振のため採算性が見込めず、計画そのものが見直されることとなってしまいます。その後、一部区間は路線バス専用道に変更されて残ったものの、車の普及等の理由により鉄道建設計画は立ち消えとなってしまったのでした。
この計画中止は、どれほど村民の心に暗く影を落としたことでしょう。「五新線」の開通を夢見た林業家の無念が、河瀬監督にこの作品の発想を与えたのでは、と推察してしまいます。
映画では、「五新線」計画の中止に翻弄される1組の家族・田原家の姿が描かれています。田原家は、孝三と妻・泰代、二人の娘のみちる、孝三の姉の子・栄介、そして孝三の母・幸子の五人家族。長年「五新線」の開通を夢見て林業を続けてきた一家なので、鉄道建設中止が決まったときの落胆はどれほど大きかったことでしょう。
そして、トンネル開通工事に携わっていた孝三は計画中止に困惑し、失意の中自らこの世を去ってしまいます。作品中しばしば登場する封鎖されたトンネルが、解決の糸口が見えない一家の鬱屈を暗示するかのようです。
ノスタルジックな自然美
映画の中で描写される吉野の自然には、ノスタルジックな美しさがあります。例えば、命芽吹く春、競い合うように鳴く鳥や虫の声。優しい音色のピアノ音楽。不思議と、はるか昔に心を引き戻されるかのような雨音やカナカナの鳴き声。花と野菜が育つ畑の向こう、遥か南に見える扇を広げたような美しい山「扇旗」。その背後の、どこまでも続く吉野の山並み。山から降りてきた風が風鈴を揺らす、涼やかな音色。
そして、耳に痛いほどの歓声を上げながら遊ぶ子供たちの姿も描かれています。水あそびや木のぼりに飽きたら、次はかくれんぼ。「隣の家の幾ちゃんと 近くの大きな木の中で お手々つないで空見たら お陽さま暑くて消えちゃった かくれんぼするもん よっといで」。
物語では、夫・孝三を失った泰代と娘・みちるは吉野を去り、幸子と栄介だけが村に残ります。鉄道工事の中止が、田原家をバラバラにしてしまったのです。そんなシーンでは、なおさら美しい景色が心に沁みます。吉野の自然美は、まるで去って行った村人に対する朱雀の神の慈悲であるかのようです。
別れの悲しみ
人は様々な事情を抱えながら生きています。長い人生の中で最も辛いのが「別れ」でしょうか。故郷、家族、そして最愛の人との別れ……。この作品では、別れの悲しみがテーマとなっています。そして、別れが辛いからこそ、その悲しみを知らずにいられた幼年時代が貴重な時間だったと思えます。
ロケ地を訪れた私にとって衝撃的だったのは、映画に映っていたような人の営みがなかったこと。映画の舞台となった西吉野村は2005年に五條市へと編入され、廃止されて西吉野町になりました。この時点で、映画公開からすでに8年が経過しています。そして編入されてから2022年現在で、さらに17年が経ちます。
西吉野村は以前にも増して過疎化が進み、山の生活環境はすっかり変わってしまいました。童唄を歌う子どもはもういないでしょうか。作品中に登場する孝三の遺物である8ミリカメラには、ひと仕事終えた村人たちの安堵した表情が映り込んでいて、みんな幸福に満ちた良い顔をしていました。
取材時に村を歩いてみた時は、当時の人々のような笑顔に出会えず、虚無の感覚でした。ただ、みちると栄介が上った赤い屋根の家は健在で、撮影が行われた当時の記憶をとどめる器として多くを物語っています。二人が歩いた草の道はすっかり形を変えてしまいましたが、青々とした風とすずやかな光は当時のまま変わりません。時代とともに移り変わりゆく人間の姿はどこか物悲しく、幸福な時間が長くは続かないことが残念でなりません。
作品終盤、幸子が消え入りそうな声でまどろみながら童唄を歌うシーンがあります。徐々に遠くなる意識の中で、吉野の自然に抱かれながら、幸福だった子どもの自分に帰っていきます。本当の故郷はもう思い出の中にしか存在しないのかもしれない、などと心の中で呟きながら。