河瀬直美監督が第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール賞を受賞した「萌の朱雀」。春のある日、私は主人公のみちるが歩いた道を実際に訪ね、映画の中の風景に会いに行こうと思いました。しかし、それだけではありません。河瀬監督を映画製作に駆り立てた出来事(「五新線」工事中止)を含め、映画公開から20年以上経った現在の山の暮らしの様子を知りたい気持ちがありました。
目指すのは山間の寺院
調べてみると、目的地「みちるの家」は「平雄」のバス停からおよそ1時間かけて山を登ったところにある、とのことでした。鳥の声や木々の葉擦れを聞きながら山を歩くのは作品世界への接近法の1つですが、山の高みから大きな風景を眺めながらその世界観へと近づくのも悪くないと考え、今回は車を使いました。
山を登って行くと、斜面に貼りつくように点在する一軒家が遠望できます。それらの家の周囲には桃や桜の木が植えられていて、谷全体が明るい色に輝いていました。その牧歌的でとても詩的な風景の中にたたずむ家の一軒一軒に人の暮らしがあることを思った時、悲しいくらい厳粛な気持ちになるのはなぜでしょう。
山の人々は一日の終わり、向うの山に点々と灯る明かりを確認しながら、十年一日のごとく暮らしてきました。三好達治の詩『雪』(「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」)の世界を想像します。
目的地「みちるの家」までのアクセスは、車でも容易でありません。カーブが大きいうえ勾配がきつく、道幅も広くないためハンドルさばきが大変。緊張の連続でした。こうして山を回りながら、目的地付近の徳善寺が望めるポイントまでやって来ました。
山頂の桜が寺を縁取るように咲き誇っていて、まさに天空の寺院といった風格。花弁が風ではらはらと舞う中、いよいよ標高約600メートルの目的地に到着。赤いトタン屋根の家が作品中で描かれていた時のままの姿で迎えてくれました。幼い頃の主人公たちの通学路になっていた家の前の急勾配の畑、最後のシーンで主人公の祖母・幸子が童謡を口ずさむ縁側も映画のままでした。
赤いトタン屋根の家
「みちるの家」を散策していると、谷間からはよそ者の私を警戒しているかのような鶯の声が聞こえ、視線を上に向ければ、通称「扇旗」、武士ヶ峯、高城山など果無山脈まで続く連山が見渡せます。
実はこの山々の名前は、作品にも出演されている平清文さんに教わりました。平さんは山を指差しながら、山の仕事のこと、吉野美林のことを色々と教えてくださいました。また、「近所のおじさん役として田原家の話し相手になったり、引っ越し時にタンスを担いだりしました」と撮影時の様子を思い出しながら語ってくださいました。
河瀬監督については「とにかく人を惹き付けるリーダーシップのある方」、西吉野村(現・五條市)出身で、この作品がデビュー作だった尾野真千子さんについては「とても礼儀正しい子」と記憶しているそうです。尾野真千子さんの現在の活躍ぶりを思えば、当時まだ中学生だった彼女をみちる役にスカウトした河瀬監督の眼の確かさは、まさに神がかり的といっても過言ではないでしょう。
映画公開から20年以上が経ち、この地区もずいぶん様変わりしたそうです。
「撮影当時28世帯、60人近くあった人口は激減しました。独居宅や空き家が増え、今、住人は25人程度。寺や自治会の維持が年々難しくなっています。さびしいですよ。昔は子どもの数も多く、とても賑やかでした。」
声を落としながら話す平さんが思い浮かべていたのは、戦後、明るさを取り戻したこの国が復興に向けて動いていた頃のこと。元気な子どもがたくさんいて、それを周囲の大人がわが子同然に見守り、子育てに関わっていた時代のことだったに違いありません。「さびしいですよ」の言葉に万感の思いが込められているようでした。
河瀬監督はこの地を訪れた際、この山の連なりに何を思い、構想を脹らませていったのか。いつかご本人に伺ってみたいものです。
「五新線」の今後
奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ計画で建設が始まった鉄道「五新線」。昭和34年に西吉野村まで鉄道基盤が完成したものの、林業不振で採算性が見込めず、その後バス路線に変更され、昭和57年には建設が中止されました。この出来事が、河瀬監督にとって「萌の朱雀」製作への大きな原動力となりました。
劇中、学校の行き帰りに従兄・栄介が運転するバイクの後部座席で、彼にほのかに心を寄せるみちるの姿がありました。そのロケ地となったのが、JRバス「賀名生」停留所周辺です。バス停名を変え、車輛名も「JR」から「国鉄」に変更して撮影したそうです。その後、JRバスは撤退。後を引き継いだ奈良交通バスも平成26年に運行中止となり、「五新線」は封鎖されてしまいました。五條市によると、危険箇所であった大日川トンネル、衣笠トンネルの修繕を行い、今後イベント等での活用を考えているとのことです。
桜まじる風に吹かれて
谷間からの風に吹かれながら、山に向かって開かれた平さん宅の縁側で当時の思い出も教えて頂きました。みちるの家の前の畑を開墾してスイカやトマト、エンドウ豆、トウモロコシなどを植えたこと、クランクアップ後の楽しいひと時のこと…。撮影当時から20年以上経過した今、数々の思い出が頭をよぎるそうです。「終わってみれば、みんな良い思い出」との一言が印象的でした。
われわれの中の“日本人的なるもの”を目覚めさせる土地・吉野地方は魂の源境と言えるでしょうか。吉野をテーマとしたエッセイ集を多数執筆した、詩人で歌人の前登志夫(まえとしお)さんの言葉に次の一文があります。
「山に住んでいると、空を見上げるのが習慣になってしまった。大事な日課でも空に記されているように、山に暮らす人たちが空を仰ぐのを、街の人は奇異な目でみる。実際、まだ山の空には、人が暮らしていくうえの大切な象徴がある」
そんな言葉を思い出しながら、山を見つめる平さんにつられて私も山に見入っていました。ただ、空に書いてある「日課」を読み解くまでには時間がかかりそうです。長年ここに暮らしてこられた平さんのようにはいきません。
訪問地:五條市西吉野町賀名生、同平雄