吉野に来たら行ってほしいところ。会ってほしいひと。
第1回はこちらから!
国栖のみんなから愛される古民家のお店「くにす食堂」
第2回:大師山寺/大塚知明住職
「田舎」というと「自然に囲まれていて環境はいいけれど、ちょっと不便」というイメージがあるかと思うのですが、ここ上市は、大自然がすぐそばにありながら、駅にも郵便局や銀行にも徒歩圏内で行けてしまう、田舎だけどとても便利なところ。コンビニだってすぐ近く。私の中では「田舎の都会」と呼んでいます。
そんな上市の中心部、大通りをちょっと入って、長い階段を登りきった山の中腹に、「大師山寺」というお寺があります。正式名称は大師山妙法寺といい、奈良時代に聖武天皇の勅願で東大寺別院、法楽寺の塔中として開創されました。
吉野山が一望でき、眼下には吉野川の清流を見渡せる、とても見晴らしの良い場所です。吉野の町自体がとても気持ちの良い場所なのですが、ここに登るとまた一段と空気が清々しくなったことを感じます。
春には桜色に色づいた山々が。夏の太陽を浴びてきらきらと輝く吉野川、秋にははっとするような鮮やかなもみじの紅葉、冬のピンと張りつめた澄んだ空気や幻想的な雪景色。日々移り変わっていく美しい景色を、すぐ近くに感じることができます。
伊勢街道と熊野街道の交差点にあたる場所にある大師山寺は、江戸時代には「力褌」授与の場として、吉野川で禊を行うたくさんの行者達に親しまれていました。ご祈祷を受けた褌を「力褌」と呼び、行者達はここで「褌を締め直す」という言葉通り、気合を入れ直し後の修行や旅に備えたのでしょう。
そんな風に昔から人々が集まる場所であり、近世では住職のほとんどがここで遷化※する事無く、他の寺で活躍し出世のすることから、良縁のお寺としても知られています。私ももれなく、大師山寺との出会いがきっかけで吉野に移住し良縁をいただいた一人です。
※遷化(せんげ):僧侶が亡くなること。
吉野に移住する前は、お寺に行くと言ったらそれはほとんど観光寺院で、あとは年に数回お墓参りに檀家寺へ行く程度でした。住職とお話しする機会なんてほとんどないに等しかったのですが、吉野に来てからは「お寺」や「住職」という存在がぐっと身近になりました。
節々にご先祖様のご供養をする。人生の折々にご報告に行く。日々の迷いや疑問を相談する。そんなことが当たり前に続いている大師山寺。行事の時にはご近所さんが集まりみんなで準備をしたり、定期的に山の掃除にきてくれる人がいたり、世間話をしに来る人、仕事や健康の相談に来る人。
みんな気軽にお寺に登り、頼れるコミュニティの場としてお寺とつながっているのが印象的です。都会では希薄になってしまっているけれど、昔は日本中でこんな風にお寺と人、そしてこの世の人とあの世の人も、もっと近くに繋がり関わり合って過ごしていたのだろうなと思いました。
ふらっと登ってきた人にもお茶をお出し、誰とでも気さくにお話ししてくれる大塚住職。さすが関西人!法話もお話しも神妙な重々しい雰囲気ではなく、笑いを混ぜながら。今では全く想像つきませんが、中学生の頃までは極度の人見知りだったそうです。高校に上がる時に「自分を変えたい!」と思った大塚青年は、少しの勇気を出して人に話しかけるようになったそうです。
「勇気を出したら良いことが起きた」という当時の経験が元にあって、今も同じように実践し続けていると住職は言います。少しの勇気を出し続けていく。その経験を少しずつ積み重ねていく。それが大事なことだと。大塚住職の気さくで寛容な人柄と、大師山の場の清々しい雰囲気に、今も昔も変わりなく、大師山寺には日本各地からたくさんの人が集まってきます。
ここ大師山寺は、いわゆる観光寺院でも、檀家のいる檀家寺でもなく、ご祈祷寺といわれるところです。ご祈祷寺とは、皆の願いを祈るお寺。大師山寺では主に、密教の修法の一つである、護摩木を焚いてご本尊様に願い事の成就を祈る護摩祈祷を行っています。毎月11日は護摩祈祷の日です。
『良くなれ、幸せになれと誰かのためにと願うこと。こうでありたい、こうなったらいいなという想い。想うことも考えることも祈りやで』
祈りとはなんですか?と大塚住職に聞いてみると、そんな答えが返ってきました。
『人は誰でも毎日普通に祈っているねんで。意識していないだけで。
祈ることは考えること、想うことと一緒。良いことを願うのも悪いことを願うのも祈り。』だと。
想いには、「強い、弱い」「長い、短い」があって、何かを変えたいと思う時に、強く、長く想えばそれだけ今に影響するのは当たり前のことだと大塚住職は言います。でも人はなかなか強く、長く集中して想い続けることは出来ないから、場所や対象物が必要になる。その場所や対象物がお寺や神社や仏様であって、その祈る方向性を位置付けるためにあるものが宗教なんだと教えてくれました。良い想いを増幅する手段として宗教がある。その手段が人によっては何かの哲学であったり、信仰であったりする。
確かに、なんの対象物もなく毎日毎日変わらずに誰かの幸せを願ったり想い続けたりすることは難しいような気がします。そんな時、例えば何か対象物が目の前にあると、手を合わせやすいし、続けやすいというのは納得です。日々の暮らしの中で大切な想いを見失わず、想い続けられるようにと、行事や信仰が続いてきたのだと思いました。
大塚住職はまた『祈りは時間や空間を超えて、人が人に作用し続けている。これはずっと拝み続けてきて体感として感じていること。先人達の祈りや想いの結果が今やろ。普段からみんな見ているのに、そんなことないと思っているだけ』と。
祈りとは、なんだか特別な儀式のような気がしてしまっていたけれど、そんなことはなくて、普段誰もがしていること。ただ強いか弱いか。長く続くか続けられないかの違いだけ。以前読んだ佐藤初女さんの本の中で「生活は祈り」と言っていたことを思い出し、今回大塚住職のお話を聞いて肚の中にすっと落ちてきたのを感じました。意識しようがしまいが、私たちは毎日祈りながら生きているわけです。
毎年4月20日は密教の厳しい修行の一つと言われている、焼八千枚不動護摩供修行が行われます。八千本の護摩木を焚く護摩祈祷です。お釈迦様があの世とこの世を八千回往復して、人々を救ったということから八千本の護摩木を焚く苦行となったそうです。
4月11日から前行として、塩、十穀、お茶を断ち、水で煮た野菜を一日二食の生活になります。不浄や汚れを寄せ付けずに、心身を清らかにしてひたすら修行に専念する生活が始まります。その後7日間の断食!巷では断食道場が流行っていたりしますが、こちらはなんと一週間!一日の断食さえできない、いやちょっとお腹が空いただけで機嫌が悪くなってくる私には、全くもって想像がつかない境地です。
そんな中、不動真言を10万遍唱えるそうです。10万遍… イメージできますか?そんな数数えたことありますか?果てしなく、ただひたすらに祈念し唱え続ける御真言。そして最終日の20日には、水さえも断ち、全国の息災安穏、災害復興、皆の祈願成就を一心に祈念しながら、1万1千本の護摩木を一日かけて焚き上げるのです。
あれ?八千枚じゃないの?と疑問に思った方がいると思うのですが、この修行自体は「八千本を焚き上げる」とあるそうなんですが、大塚住職はなんと三千本も多く焚き上げます。八千枚でも既に気が遠くなるのに、なんで増やすのですか?と聞くと、『もっと拝んだらもっと良くなるんやないかと思って。
人がやったことではなく、それ以上のことをやったらどう変わるのか興味があった。』とそんな答えが返ってきました。
どこまでも高く険しい道を目指す大塚住職。そんな住職が見ている景色は一体どんな景色なんでしょう。登った者にしか味わえない美しい景色を目指して、今日も明日も、大塚住職はみんなの願いが成就しますようにと祈ってくれています。
どうぞみなさんも大師山に登り、誰かのために、自分のために、祈ってみませんか。
大師山寺
住所:〒639-3111 吉野郡吉野町上市2103
TEL:0746-32-2601
Facebook:大師山寺 妙法寺 大師堂
※車でお越しの際は、吉野川の河原にお駐めください
毎週火曜日ご祈祷、御うかがい
毎月11日午前11時より/大師不動護摩供祈願 ご法話会
毎月21日午前10時より/弘法大師御影供法要 ご詠歌奉納ご先祖塔婆供養
毎日ご予約で特別祈願致します。
神棚、地鎮祭、家払い、安産、命名付け等も承ります
大塚知明住職プロフィール
1967年12月13日生まれ
大師山妙法寺住職
修験道当山派吹螺師
平成2年 種智院大学卒業
平成3年 醍醐寺伝法学院卒業、僧侶になる
大峰山先達として年間十数回登拝する。