よしのーと!

大和上市

建築家の私が吉野に通うことになったきっかけ ~吉野に“呼ばれ”ました~

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私が、大和上市にあるゲストハウス「三奇楼」を訪れたのは、真夏のことでした。

その日は宿泊ではなく、私を吉野に誘ってくれた友人が、「是非オーナーを紹介したい!」ということでお伺いしたのです。
色々お話をさせていただいたあとで、私は一人で表の通りへ出ました。車を停めてある東の方へ歩き始めたその時に、ふと後ろから呼ばれた気がして私は振り向きました。反射的に振り返った向こうには、街並みが続くだけ。

突き当たりには古民家が見えたものの、特に気になるものは何も見えなかったのです。もちろん、私を呼んだと思われる人影も…。
今思い返すと、それは声ではなかったような気がします。

何となく後ろ髪を引かれながらその日は帰途についたのですが、どうしても気になった私は、10月のある日に再度訪れる機会を得て、呼ばれた気がした方向へ一人で散歩してみました。街並みは昭和の匂いのする建物から、もっとずっと古い歴史を感じるものまで、雑多な建物が並んでしましたが、明らかに違う空気感の建物を発見。
直感的に「あ、この建物が私を呼んだ?」と思ったのです。

それは普通の住宅ではなく、昔の木造校舎を思い起こさせるような、背の高い凛とした風情でした。またその建物と道を挟んだ反対側の建物は、奥ゆかしい風情の立派な民家。そこまでに見た風情のある建物とは格段に違う空気がありました。
しばらく町並みを眺めながら歩いたあとで戻って地元に人に聞くと、それは…。

「北村林業さんや」

と当然知ってるでしょ、と言わんばかりの答え。正直なところ、その名も知らなかった私は、詳しく聞いてはじめて、吉野の地で知らぬ者は居ない日本で3本の指に入るほどの「山持ち」の本家と本社だと知ったのです。

そう聞くと、更に興味が湧く湧く!にも関わらず、地元の人にとっては遠い存在で、本家の中は愚か、会社の建物にもほとんど入ったことがないとおっしゃる。謎は深まるばかり…。

「あ~、見てみたい!どんなに立派な木材が使われていることか。どんなに粋な造りをされていることか。どんなに格の違う空気が流れていることか。」と頭の中をぐるぐるめぐる思いがパンパンになってしまったのです。

本家の正門は吉野川側にあることを後で知り、国道に向かって建つ立派な門構えを拝見すると、そのハードルの高さに気づいてしまったのですが、いつか私のような庶民にも見せていただけるような「特別公開日」でも企画していただけたら。

いや、私が企画させていただきたい!いつかそんなご縁がつながる日を、焦らず首を長くしつつ、信じて待とうと密かに思っているのです。

実は他にも、由緒正しい建物がたくさんあることがわかってきました。地元の方にとっては当たり前に、ずっとそこにあって、それは普通の住まいと同列の存在なのかもしれませんが、吉野にとって重要な人物の生家であったり、歴史に関わる建物が埋もれているのです。

その中で今私が気になっているのは阪本仙次氏の生家。阪本仙次氏は吉野にとっては重要な大実業家だったそうです。林業家としてはもちろんのこと、銀行や鉄道会社を興し、驚くことには、当時日本で最先端の設備を備えた「美吉野運動競技場」を建設されたそうです。

400メートルトラックとスタンドを有するスタジアム、野球場、テニスコート、各種球技のできるコートやシャワーも完備。なんとそのスタジアムでは、かの人見絹枝選手も練習したことがあるとか…!そんな大事業を成した方の生家とは知らず、それでもその存在を耳にした初めから、何故か気になっていました。ついに先日見せていただく機会を得たのですが、ひっそりと佇む姿は、渋い宝を見るような気分でした。

もっと多くの人にその存在を知って欲しいと思う建築物。空き家になって朽ちることがないように、何かお手伝いしたい。
そんな思いを持つことになったのも、やはり私は”呼ばれた”からなのかな、という思いを持って、吉野に通っています。

建築的な話になりますが、吉野には吉野山や吉野川沿いに多く見られる「吉野建て(よしのだて)」と言われる独特の建築様式があります。斜面地が多い地域で、道路側から見たら2階建て、反対から見たら3~4階建ての建物がたくさんあります。
地域に根付く建築様式を見つける楽しみは、仕事柄もありますが地味に楽しいものです。

よしのーと編集部

よしのーと編集部

吉野の隠れた魅力や楽しみ方を紹介いたします。

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