現地へのご来場およびオンライン視聴ありがとうございました。
2018年に奈良時代前半の大型建物跡が見つかった奈良県吉野町の国指定史跡・宮滝遺跡は、およそ1300年前につくられた離宮「吉野宮」の跡地とされています。壬申の乱に際して大海人皇子が挙兵した地であり、『万葉集』の歌が多く詠まれた吉野。そんな地に残る景色、詩、遺跡を訪ねて、当時の人々に想いを馳せてみませんか?
吉野宮滝遺跡に学び、そして楽しもう
2020年11月8日(日)、持統天皇が訪れた吉野宮(宮滝遺跡)にてイベントが開催されます。その内で行われる歴史対談の模様はオンライン(ZOOM)で有料ライブ配信されますので、当日現地まで赴くのが難しい方はぜひオンラインでご参加ください。
オンラインイベント詳細
日時 | 2020年11月8日(日) 10:30受付開始 | |
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開催場所 | オンライン参加(ZOOMでの配信となります) | |
参加費 | 600円 | |
スケジュール | 11:00~12:30 生駒あさみ×中東洋行 歴史対談 | |
対談テーマ | ・古来、奈良盆地から奥大和はどう見えていたのか ・吉野を舞台にした万葉歌などについて ・吉野の離宮を訪れた女性天皇たちについて |
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申込方法 | 本イベントは終了いたしました。 | |
お問い合わせ先 | 0746-34-2522(平日9時〜17時) |
登壇者紹介
生駒あさみ氏:
旅行をきっかけに奈良の魅力に取りつかれる。東京から奈良に15年間通い詰め、2014年奈良に移住。奈良や古代、記紀関係の編集、奈良ガイド本のライティングや編集、講演などを行う。著書には、女性天皇をフォーカスした「天皇になった皇女たち」、奈良の旅ブログ「奈良旅手帖」、ガイドブック「ふたりでいく奈良」などがある。
中東洋行氏:
吉野離宮発掘に関わった吉野歴史資料館学芸職員。吉野町の文化財保護活動の他、イベントや歴史探訪ツアーでは吉野の歴史解説を行う。「歴史について詳しくない方にも、わかりやすく伝える」ことをポリシーとしている。
吉野宮(宮滝遺跡)にて開催される現地イベント情報(満員御礼)
今も昔も人の心はあはれなり『万葉集』の和歌
天武天皇が亡くなった後、皇后はその悲しみを歌に託しました。
その歌は『万葉集』に収められ、今でも和歌として残っています。
「生前、夫が夕方になれば見て、夜が明ければ様子を聞いていた神岳(かみをか)の紅葉。
生きていれば、今日も紅葉の具合を聞いていたことでしょう。
生きていれば、明日も神岳の紅葉を見ていたことでしょう。
その神岳をはるかに臨みながら、私は夕方になれば深い悲しみに暮れ、
朝になればもの寂しい思いに捉われながら、日々を過ごしています。
私の粗末な衣服の袖(そで)は、涙でぬれて乾く間もないのです。(巻2-159)」
「向南山(きたやま)に、一筋の雲がたなびいています。
あの青い雲は、夫の魂でしょうか。
あぁ、雲が少しずつ遠ざかって行ってしまう。星から離れて、月から離れて、遠くへ…。(巻2-161)」
夫が亡くなった後、皇后は持統天皇として即位し、
天武天皇がやり残した大仕事(律令制度)を引き継ぎ、
大和の国から、新しい制度、新しい日本を見事に造り上げていくことになります。
新しい都につくられた宮殿の正面・南側には、亡き夫が眠るお墓が常にありました。
直接は見ることはできなくても、持統天皇の眼差しの先にはいつも夫がいました。
そして、夫が天皇に即位するきっかけとなった、
壬申の乱の始まりの地である “吉野” も、その眼差しの先にあったのでした。
持統天皇は、在位期間中、全天皇の中で最多の31回も吉野へ向かいました。
当然、天皇が一人で旅に出ることはないことから、
皇子、随行する貴族、役人、お付きの者もまた足しげく吉野に通ったことでしょう。
『万葉集』の歌には、彼らが感じた吉野の姿が鮮明に描かれています。
『懐風藻』の詩には、彼らが幻視した吉野への思いが表されています。
そして、その歌詩には、自らの恋愛が綴られており、吉野についての回想、憧れなどの気持ちもまた込められているのです。