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妖怪ファンは必見!吉野の有名な妖怪をご紹介します

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さて。
この記事を開いたということは、少なからず妖怪に興味がおありということですね?全国の妖怪を代表して御礼申し上げます。こんな記事を書いている私も、あなたと同じ妖怪好きです。妖怪の姿を見たことはありませんが、愛しく思っております。妖怪というものは日本全国に存在していますので、ゆるキャラの先駆けのような存在だと私は思っています。

全国各地、それぞれにその土地の風土を表す妖怪たちがいますが、気候が良く土壌も豊かな土地にはからりとして自由気ままな妖怪が、人里から離れた厳しい気候の土地には危ない妖怪が、ユーモアあふれる発展の仕方をした土地は物語性あふれた妖怪が、妖怪を見ればその土地の空気が分かります。

吉野と呼ばれる土地はとても広いです。奈良県の約三分の一を占めています。その広い“吉野”という土地はどういう土地かというと、いわゆる山岳地域です。

紀伊山地を構成する吉野の山々は、南部に行けば行くほど深くなり、そして“人以外のものたち”の気配が濃くなります。日照時間が短い山影には、得体のしれない鳴き声や物音、その湿度を含んだじっとりとした風が吹き抜けます。そんな土地に住まう代表的な妖怪たちをご紹介しましょう。

 

ヒダル

現代でも遭遇率の高い妖怪といえばこの方、ヒダル。ヒダルは吉野以外にも出没致しますが、得てして山間部に出る妖怪です。地方によって呼び方も異なり、「ヒダル神」「ダル」「ダリ」など様々な呼び名があります。
ヒダルは人に憑く妖怪。

憑かれた者は急に体が動かなくなり、急激な疲労感、倦怠感、めまいなどに襲われ前に進むことができなくなるといいます。
近所のおじさんに、「若いころにダルに憑かれたことがある」という人がいます。

彼曰く、いくら山を歩き慣れていても、体力もあっても、ヒダルに憑かれると全く身体が言うことを聞かなくなるのだそう。ちなみに、彼は山伏(修験の行者として修行をする者)なのですが、修行中に一度ヒダルに憑かれたのだといいます。

幼いころから何度も修行で行っている道であり、若い時分ゆえ体力も十分にありました。それが起こる少し前までとても元気だったのだそうです。

それが“牛抱坂(うしかかえざか)”と呼ばれる急な坂道に差し掛かったとき、突然体が重くなり、足が上がらなくなり、『あかん、あかん』と思えば思うほど全身から脂汗ばかり吹き出てどうしようもなくなってしまったそうです。

修行というものは、基本的に休憩は決まった場所でしかすることはできません。しかし、彼の尋常でない様子に急遽その場で休憩がとられ、「とりあえず水分を摂るべし」との指示で水を一口飲んだら途端にダルが落ち、嘘のように体が軽くなったのだそうです…。

このダルの正体ですが、餓鬼であると一般的には言われています。いわゆる“餓鬼憑き”ですね。

そのため、その餓鬼を落とすには餓鬼を満足させること、何か口に入れるという方法が全国的に取られることが多いです。ちなみに、吉野では食物の経口摂取以外に「前に進まず後ろに戻る」という方法もあるらしいです。

ただ、私はまだヒダルに憑かれたことがないので、その信憑性は分かりかねるところ。ヒダル。出会いたいような、出会いたくないような。ジレンマですね。

 

天狗

日本には多くの天狗がおりますが、これら天狗の中でも、特に神格化されてたものたちが48匹おり、それは四十八天狗と呼ばれています。(個人的には、AKBなどの48グループの先駆けだと思っていますが、多分違うことは理解しております)

この天狗たちは、修験道という日本の山岳信仰とともに育ってきました。修験道にとっての霊山(れいざん:神聖な山)と言われる山々にその天狗たちは棲みついています。

吉野は、言わずと知れた修験道の聖地で、番の霊山である大峯山がある場所です。もちろん、有名どころの天狗もおります。四十八天狗のなかの4匹は大和の国(今の奈良県)にいると言われていますが、その中で「明らかに吉野在住」と思われる、『熊野大峯菊丈坊』と『吉野皆杉小桜坊』というお名前の2名の天狗がいます。

神格化されている天狗ですから、以前は彼らの姿をかたどった石像のようなものも多くあったかもしれません。しかし、残念なことに、廃仏毀釈の激動の明治時代に、吉野も多くの寺院が破壊されました。そのためかは分かりませんが、今現在、吉野には天狗の像はほとんどありません。

一体だけ、秋葉権現と呼ばれる『吉野皆杉小桜坊』の像が、吉野山の桜本坊にありますので、吉野山に行かれた時はぜひ桜本坊にも足を伸ばしてみてください。そしてなにより、吉野へお越しの際はぜひ、山々の天狗たちを思いながら空を見上げてみてください。もしかしたら、ひょっこり木々の隙間から顔を出すかもしれませんよ。

 

一本だたら

一本だたらは、妖怪というよりは少しだけ神に近い妖怪かもしれません。
一本だたらはもともと、神なのです。

彼は、もともと猪笹王(いのささおう、もしくはいざさおう)と呼ばれる山の神でした。その姿は巨大なイノシシの形をしており、その背には大量の熊笹が生え、遠目にはひとつの小山のごとき姿だったそうです。

そんな彼に不幸がある日訪れます。猟師に鉄砲で撃たれてしまうのです。

致命傷を負った猪笹王は命からがら山奥へ逃れますが、傷は深く、苦しみの中で人間への憎悪を膨らませます。(和歌山の湯の峰温泉に伝わるお話しで、けがを負った猪笹王が野武士の姿で湯治にあらわれるお話があります。宿の者がこっそりのぞくと野武士がいるはずの部屋に背に笹を生やした大きなイノシシがぐぅぐぅ寝ていたそう)。
そして、傷も癒えぬまま、そのうち猪笹王は一本だたらという恐ろしい妖怪になってしまうのです。

一つ目に一本足の恐ろしい妖怪が伯母峰(奈良県川上村)や辻堂(奈良県上北山村)、果無山脈(奈良県十津川村)に現れ、峠を渡る人々を誰彼かまわず片っ端から襲う。

こまった…。

そして、一本だたらの出る峠は誰も通らなくなり、そのふもとの村はすっかりさびれてしまいました。そんなある日、丹誠上人という高僧が峠を通りかかり、すっかりさびれた村を見て、何事かと村の者に事情を尋ねました。そして“日ぎり”という方法で、一本だたらを封じます。

日ぎりとは『日を限って願をかける』こと。

その日が年に一度、吉野では「果ての二十日」と呼ばれる12月20日。この日だけは人を食べても良いとして、残りの日は封じたのです。そのため、12月20日は厄日として山へ行ってはならぬ日といわれ、現代もこの日は山に入らぬ日として語り継がれています。

吉野の有名どころの妖怪を3匹紹介させて頂きました。この他にも、様々な妖怪が吉野にはいますし、名前の付いていない不思議な話もたくさんある吉野です。皆さんも吉野にお越しの際は、目に見えるものばかりでなく、目に見えないものの気配にも注意してみてください。
そして同時に、彼らからも「見られている」ということを意識してくださいね。山にはいろんなものがおります故。

よしのーと編集部

よしのーと編集部

吉野の隠れた魅力や楽しみ方を紹介いたします。

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