よしのーと!

吉野山

吉野山小学校の木造校舎で過ごした淡い想い出

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ふと目を閉じて自分が小さかった頃を思い出してみます。真っ先に蘇るのは今は廃校となってしまった吉野山小学校(現:吉野山ふるさとセンター)です。皆さんをノスタルジックな時間旅行へご招待すべく書いて行きますので、幼い頃の私と、廃校となった小学校を想像してみて下さい。

蔵王堂の裏の脇道を下って行くと小さな校舎がありました。造りは全部木造で廊下も机も椅子も全て木の温かみを感じる小学校です。

校舎は2階建てで運動場を囲うように桜の木が沢山植えてあるのは吉野山らしい光景だと今は思います。当時は当たり前過ぎて気にもとめず過ごしていましたが(笑)

そんな木造の校舎の廊下を、掃除の時間に雑巾がけしていたのも懐かしい思い出の1つです。一般的に、学校の校舎は鉄筋コンクリート造りでも転んでも安全に造られているとは思うのですが、廊下や教室の床は木製だったので、転んでも大きな怪我をすることはありませんでした。

吉野山小学校は私の親世代から変わらずに木造だったようです。親もその校舎で学び、私も学んだんだと思うと落書きやらしっかり見ておけば良かったなと今になって思い返したり。

話は戻り、吉野山小学校では高学年生が桜色のうがい薬を作ってくれていて、校舎に入る前に手洗いとうがい薬でゴロゴロうがいをしました。小さかった私には桜色のうがい薬がとても綺麗に見え、うがいするのが楽しみの1つでもありました。

普通、子供はうがいが面倒なはずなのですが不思議なもので、うがい薬の色が綺麗なだけで楽しみに変わるなんて。それぐらいピンク色のうがい薬は印象的でした。何故、ピンク色の薬だったのか、偶然なのかは気に止めてもなかったけれどもしかしたら桜をイメージしていたのでしょうか。

再び、記憶を回想して…私の幼い頃のエピソードに脱線したいと思います。

1年生だった自分は大きなランドセルを背負って毎日登下校がしんどくて泣いてばかりでした。分団登校の5~6年生に助けてもらって、泣きやむまで待ってもらったり、酷い時には親に迎えに来てもらうような子供でした。

私のような子のことを、関西弁では「あかんたれ」と言いますが、見事な「あかんたれ」の自分のお世話をしてくれて、毎日登下校できたのは、まさに高学年生のおかげでした(感謝しかないですね)。
そんな子供時代を送っていた私です。

また、当時の吉野山小学校には制服はなく私服でした。自由で伸び伸びと過ごせたのも私服が良かったのかも知れません。ようやく学校について桜色のうがい薬でゴロゴロし、教室に入るといつもの仲間の顔がありました。小さな小学校ですから、なんと1学年12人程度しか生徒はいません。だから教室に入れば直ぐに全員の友達の笑顔や笑い声を確認できました。


授業はおそらく他の学校と変わりなく進んでいきますが、思い返すと先生の目が必ず届く人数だったので有難かったですね。後ろの席の友達に振り返っておしゃべりする子、大人しくゆっくりノートを書く子、色んな個性の友達がいました。そしてお待ちかね、4時間目の後には給食。校舎の横に渡り廊下があり、給食室ではおばさん2人が毎日作って下さっています。一生懸命に大きなお鍋で手料理のような温かい給食を調理して下さっていました。私はここでは泣きはしないもの、食べるのが遅くて先生や友達にも応援されて記憶がありました。

「がんばれ!がんばれ!」

ここでも「あかんたれ」を発揮していたのを、今回の記事作成の取材協力してくれた友達の記憶にも残っていたようで、
「いつも食べるの遅かったね!」
と微笑んで懐かしんで話してくれました。給食の後の掃除時間になっても食べていた日も多かったです。それでも、美味しく毎日ゆっくり食べていた給食の中でも大好きだったのがグラニュー糖をふりかけた揚げパン。きな粉じゃなくグラニュー糖をいっぱいふりかけてあり人気メニューでした。その時だけはパンも残さないで食べていました。

 

グラニュー糖の揚げパン

 

きな粉の揚げパン

 

転校してから、奈良県内の他の小学校の揚げパンに、きな粉がふりかけてあることが衝撃的でした。私は、きな粉の揚げパンが本当に苦手で、グラニュー糖のふりかけた揚げパンじゃなきゃ揚げパンと思えなかったんですね。


夏は小さなプールで水泳とは言えないレベルでバタ足で頑張りました。活発に泳ぐ友達、水が怖い友達も水遊びに近いような授業で楽しかったのを覚えています。季節が秋になって、ここで吉野山小学校、吉野山幼稚園恒例の行事が始まります。桜の花が種になると幼稚園生も小学生もみんなでさくらんぼの種を拾いに行き、あちこちに落ちたさくらんぼの種を競うように取って集めるのです。宝集めのように必死でそれらを拾い集めて先生に誇らしげに渡しては褒められ、また有頂天になって集めます。


今もその桜の種から育った桜があるので、「あれは、私が植えたさくらんぼの種から育った桜かな?」と思ったり。親の世代から続いてきた木造校舎ですが、吉野山小学校は校舎だけが特徴的ではありませんでした。


吉野山には多くの季節の行事があるため、例えば、「カエル飛び行事」があれば、半日で休校になり行事に参加したり、小学校の運動会となれば消防団の人が仮装してリレーしたり、吉野山の大人も全体で学校行事に参加して盛り上げてくれていました。

木造建築の校舎の木のぬくもりのように、いつも町の大人が生徒を見守ってくれていた事を感慨深く思い出します。
吉野山の行事と小学校の行事は並行して年間スケジュールが組まれていました。

木造校舎は、私が転校してからリフォームされ、赴きを残しつつ、今は「吉野山ふるさとセンター」として残されています。そんな、吉野山小学校のノスタルジックな思い出話を紡いでみました。

れいこ。

れいこ。

奈良の吉野山に生まれ、小学生で下市町へお引越し。スローペースで滅多に怒らない「からかわれキャラ」です。人間観察、音楽を聴くこと、アニメ、映画、フィギュアスケートまで、あらゆる美しいモノや不思議なモノが大好物。

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