よしのーと!

吉野山

人を癒し、力をくれる吉野~後編~

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晴天の早朝、玉砂利が敷きつめられた境内に足を踏み入れると、あまりにも美しく澄んだ大空の気持ちのよさに深呼吸をくり返さずにはいられない……。それが「吉野神宮」で体験した最初の感動でした。

「神さまの棲む場所の空とは、こうも高く突き抜けているものか……」

見渡してみると、四方八方どこにも視界をさえぎるものがない。ビル群や民家はもちろんのこと、ここは吉野であるというのに岳も峰も見えず山の気配すら感じない、まるで天界に降り立ったかのように実にすがすがしいのです。

杜の中に溶けこむような境内は、2.7万坪という広大さ。季節の草花は美しく手入れされていて、どこを歩いても見つかる気高い美意識に、現実に引き戻される瞬間がありません。厳かな静寂が訪れる人を黙々と迎え入れてくれる世界観は非日常そのもの。桜や紅葉を目当てに慌ただしく立ち寄るのではなく、「ここで時間を過ごす」ために訪れる価値のある場所だと感じます。

 

人として強く生きた実在の天皇 いま神として私たちに気づきを与える

「吉野神宮」は明治天皇の勅命により「吉野宮」として創立されたのが始まりで、大正時代に今の名称に改められました。本殿も拝殿も見事な桧造りで、「近代神社建築の最高峰」とあがめめられるほど。彫刻などの華美な装飾は見られませんが、「簡素な中にこそにじみ出る品格」に本物の美しさを感じずにはいられません。それでも、圧倒的な歴史を誇る吉野のその他の神社と比べると、「ずいぶん新しいなあ」といった印象です。それもそのはず、

「改築が完成したのは昭和の初めです。建物自体の歴史は浅いですが、祀られている“魂”はとても長く、背景にある歴史も壮大です。世の中を良くするため、国の未来のために立ち上がった人たちの、大変な思いとエネルギーが宿っていると感じています」

そう語るのは、宮司の東輝明(ひがし・てるあき)さん。多くの神社が日本神話に登場する神さまを祀っている中で、ここの祭神は日本の第96代天皇「後醍醐天皇(1288年~1339年)」なのです。

「実在した人物、人としての道を力強く生きた方をお祀りしている場所だということに大きな意味がある」という東宮司。後醍醐天皇については、

「目の前にある困難は、逃げてもなくならない。ならば立ち向かうしかない。その志が民の希望となり、未来を変えることになる。たとえ敗れてもすべてを受け入れ、道理をお示しになった天皇でした」

と表現します。そして、その勇ましい生き方こそ「つまづき、迷いながらも現代を必死に生きようとする私たちの胸に響くものがある」というのです。

「『太平記』で描かれた暴君像も影響して、後醍醐天皇といえば自分勝手で好戦的な人物像をイメージする人は少なくありません。ですが、鎌倉幕府を倒して朝廷政治を取り戻し、この吉野に南朝を開いたのは、果たして自分のためだったでしょうか。『私の心の中には国を思い、民の行く末を案じる尽きない思いがある』とお詠みになった数々の歌からも、深いお心の底が汲みとれるように思うのです」

「革命のためには、苦しみを享受することもいとわない」という後醍醐天皇の生きざまは何世紀もの間、人びとの心をとらえ語り継がれてきました。500年後には時代を「明治維新」へ導いたともいわれ、その“不撓不屈ふとうふくつ”の御霊みたまは明治天皇の熱望により、ここ吉野の地で祭神として祀られるまでになったのです。

島流しになってもあきらめずに脱出し、悲願の倒幕を果たすなど決して順風満帆ではなかった傷だらけの人生。それを突き動かしたのは世のため、人のため、未来のため……東宮司の口から語られるのは歴史のエピソードであるというのに、聞いているうちに「人の心はいかにあるべきか」「真理とは何か」と考えざるを得なくなり、気がつけば哲学にすら思いを馳せていたのでした。

「私は常々、目に見えるものだけが真実ではない、聞こえる言葉がすべてではないと信じています。大切なものは、いつもその奥にある。たとえば、一見きつく聞こえる言葉であっても、そこには敵意があるのか、思いやりから来る厳しさなのか。人との関係においても、見えないところを注意深く推し量って初めて相手を理解できることがあると思うのです」

東宮司いわく、「神の存在も、目には見えない」。その見えないものにこそ真理を見出し、私たちが生かされている奇跡に感謝して手を合わせる。後醍醐天皇の御霊は、「いまを生きる私たちのつらい気持ちも、きっとおわかりくださる」といいます。踏ん張って前に進もうとする背中を、そっと押してくださいますと。

「吉野とは、傷ついた人を受け入れ、癒し、力を与えてまた送り出すことのできる場所ではないでしょうか」――。

精いっぱい走って頭をぶつけても恥じることはない。傷を負ってこそ見える景色があるのだから。痛みはきっと私たちに「気づき」というご褒美をくれて、明日を生きる力につながっていくと。苦しみながらも生き抜くことを諦めなかった後醍醐天皇の魂は、いまこの地で神となって訪れる人を迎え入れ、なぐさめ、見守り、励ましてくださるのだと。

 

神へ心を捧げる 神聖さ極まる儀礼を体験

言霊ことだまの力に心地のよい痺れを覚えながら、最後には拝殿へと進み入りましょう。「玉串奉奠たまぐしほうてん」をさせていただくのです。玉串に心を託して神さまに捧げ、御神徳ごしんとくをいただく儀礼です。

「玉串」とは、神道において「神さまと人とを結びつける橋渡しをするもの」。神が宿るとする「さかき」の枝に結ばれた紙垂しでが空を切って揺れる様子に、気持ちが引き締まります。

宮司から受け取った玉串を、後醍醐天皇の御霊が鎮座する御神座ごしんざのある本殿に向けてお供えします。風が通り、さらさらと葉ずれの音がする。鳥たちのさえずりを遠くに聞きながら、ニ礼ニ拍手一礼。お参りさせていただき感謝いたします、どうかお見守りくださいと心からの祈りを捧げます。

儀礼の終わりに東宮司が手渡してくださったのが、吉野名産の葛湯でした。

「この葛湯をお飲みになるとき、またどうぞ今日のことを思い出してください。そして、ごく当たり前のことに気づけているか。たとえ自分がすべてを失ったとしても、心根を信じてそばにいてくれる人は誰だろうか。その人を大切にできているかと、どうぞ思いを巡らせる時間にしてみてください」

余韻と共に胸をいっぱいにしながら本殿に向かって一礼、また振り返ると、

「ここからまっすぐ先に鳥居が見えますね、さらにその先には京都があるんです。後醍醐天皇のおられる本殿から幣殿、拝殿、神門、大鳥居と、京都を望んで一直線に突き抜けていく配置になっています。あえて北を向いて建立されていることには深い意味があり、これは日本の神社の中でも大変めずらしいことです」

と、最後の最後までとても丁寧に解説してくださった東宮司。忙しい中でもできるだけ参拝者と言葉を交わし、訪れる人のひと時に思いを添えてくださるかのような語り口。ここでめいっぱい吸いこんだ崇高な空気とともに、私の中にしみじみと染みこんでいくかのようで、感謝と感動に満たされた思いを抱きながら大鳥居をくぐり、北へと帰路についたのでした。

⇒ 【前編はこちら】
人を癒し、力をくれる吉野~前編~

 

吉野神宮

住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山3226
TEL:0746-32-3088
営業時間(授与所):9:00〜16:30頃

山本 亜希

山本 亜希

1975年、京都市生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業後、海外旅行やグルメ取材、インタビュー記事を中心に東京での執筆活動をへて、2011年から京都市在住。ソウルシンガー、英語講師としても活動。

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