よしのーと!

祭り・行事

アメリカ人の私が吉野山の「秋祭り」でお神輿を初体験

お気に入り

お気に入りに追加

ある年の秋、吉野町の吉野山で行われる秋祭りに参加しないか、と誘われました。今回は、祭りでお神輿みこしを担ぐ日本の伝統と、アメリカ人の私が参加してみて分かったことについてご紹介したいと思います。

お祭りで大勢の人間が大きな木製のお神輿を担ぐ姿は、海外でも知られた日本の文化の一つになりつつありますが、そもそも「お神輿」とは何なのでしょうか。私がお神輿のことを外国人の友人に紹介するとしたら、「移動式神社」と説明します。

神道では、「身の回りの物全てに神様が宿っている」「神様は様々な姿で存在しており、人間の暮らしにも影響を与える力がある」と考えます。日本人にとって、神様との関係を維持することはとても重要だったため、古くから日本人は神社を建てて神様をお祀りしてきました。そして、祀った神様が自分たちを守り、助けてくれると信じてきました。

1920年代の祇園祭のお神輿

神様も、ずっと家(神社)にいたのでは退屈ですよね?
そのため、祭りの際に地元住民たちが担ぐ「移動式神社」であるお神輿に乗って、「地元観光ツアー」に出かけるのです。祭りでお神輿を担ぐことは、地元の神様と良い関係性を築くだけでなく、地域の人々の絆を強くするものでもありました。神道は日本中で信仰されており、各地でこのような習慣が受け継がれてきたため、現在でも日本にはたくさんのお祭りが残っているのだと思います。

アメリカから来日して以来、祭りは見る専門だった私ですが、ある日、職場の上司に「吉野山の秋祭りに参加してみないか」と誘われてびっくりしました。外国人であり、吉野に住み始めて当時まだ1年半ほどだった私は、地元の方にとっては言うまでもなく「よそ者」です。そんな自分が伝統ある祭りに参加して良いものなのか、皆さんの期待に応えられるのだろうか……と不安もよぎりましたが、せっかく日本に住んでいるのだから、新しい経験をした方が良いに決まっていますよね!

 

吉野山の秋祭り

吉野山の秋祭りは、作物が収穫の時期を迎える毎年10月に行われます。日本では作物の豊かな実りは神様のおかげだと信じられているので、その恵みに感謝して日本中で秋にお祭りが行われるのです。

吉野町の吉野山という1地域だけでも3つの神輿隊が存在しています。秋祭りの日にはすべての隊が町に出て人数や掛け声を競い合うので、とても賑やかな1日になります。ちなみに、吉野山には急な坂や階段が多く、神輿隊がうまく難所を乗り越えていく姿は見ごたえがありますよ!

私が担いだお神輿について

この年初めてお神輿を担いだ私ですが、参加させてもらった神輿隊はなんと、目的地である金峯山寺蔵王堂から最も遠い場所から出発し、急な山道を練り歩く隊でした。しかも! 3つの神輿隊の中でも一番重いお神輿だったのです。これほど大きく重いものを今まで担いだことなどない私は、正直なところ「どんな道のりになるんだろう……どれほどハードなんだろう……」とビビッていました。神輿隊はあえて険しい道を行くことで、人々が神様に敬意を払っていることを伝えようとしているんですね。

ところで、お神輿はいつでも担げる状態で保管されているわけではない事をご存じでしょうか。吉野山では、秋祭りの前日に地元の大工さんがロープと伝統的な建具を使って、神輿部分(祭以外の時は倉庫で保管されている)にお神輿を担ぐためのパーツを取り付けます。その所要時間、わずか数時間。驚きの早業です。しかも、組立ての際にはネジや釘を一切使用しないのです。そうすることで、同じパーツを毎年使用することができるそうで、私が担いだお神輿では、江戸時代のものを使用しているとのことでした。

お神輿の胴体部分は屋根付きの舞台のようになっており、そこには大きな太鼓が置かれています。お神輿を担ぐ際は、この太鼓を叩いて掛け声のタイミングなどを合わせます。

私が担いだお神輿

上記の写真からわかるように、お神輿を担ぐための担ぎ棒は胴体の下に平行に取り付けられています。木の棒なので、言うまでもなくとても重いです。「肩に乗せて担ぐものなら、もう少し軽く作ればいいのに……」と決してマッチョではない私は思うのでした。

神輿隊の動きとしては、まず、数人のリーダーが隊を指揮し掛け声を先導します。そして、お神輿の舞台部分で太鼓を叩く人が掛け声のペースを調整したり、叩くリズムを変えることによって隊のとるべき行動を担ぎ手に知らせたりします。練習を積み重ねてよく統制が取れた神輿隊では、全員の掛け声と動きが揃っており、大声で励ましあう姿や、太鼓のリズムによって動きが変わるところが見られるので本当に楽しいです。

配置について、いざ出発

さて、担ぎ手の準備ができたら、リーダーの指示でそれぞれ配置につきます(ちなみに、私は隊の右後ろの方に配置されました)。しかし、明らかに担ぎ手同士の間隔が広く、皆さん口々に参加者が少ないことを話していたのが印象的でした。吉野の人口は年々減少しており、地域外からの参加者が協力してくれるからこそ、秋祭りが存続できているのです。そんな担ぎ手の少なさにはお構いなく、リーダーからスタートの指示が出ました。

太鼓が打ち鳴らされ、担ぎ手たちは軋む年代物の担ぎ棒をゆっくり持ち上げ、肩に担ぎました。その信じられない重さたるや! あまりの重さに、このまま潰されてしまうのではないかと思うほどでした。周りの担ぎ手たちも必死の様子。もしお神輿を落としてしまったら全員が呪われてしまうような気がしました。その時、リーダーがお神輿を一度下すように言ってくれたので、一旦ホッと一息つくことができました。

この時私は、こんなに重いものを持ち上げるだけでなく担いで歩くことなど、絶対無理だと思いました。興味と好奇心だけで神輿隊への参加を決めた自分を恨みたくなるほどでした。

その間にもリーダーたちは集まって作戦会議を行い、体格のいい担ぎ手の配置を調整して再度挑戦してみることになりました。太鼓が鳴らされ、号令がかかり、上げる……! 今回も重さで真っすぐ立つことはできなかったものの、最初よりはバランスが安定しているように感じました。これを見たリーダーは行けると判断し、目的地に向けて細い下り道を進むように指示。細い山道なので、足を踏み外さないように注意して進むのですが、これがかなり怖かったです。また、商店の軒先にぶつけないようにするのも一苦労でした。

少しずつなんとか進んでいきましたが、ずっと私が担ぐ右側の方に傾いていました。しかし、経験豊富な担ぎ手の方が苦戦している箇所を応援しに行くなどして、なんとか進み続けました。

2~3分毎に一旦停止して休憩し、特に急な道を突破したところで昼休憩。地元の女性たちが作ってくれた昼食とたくさんのビールが差し入れられました。女性は伝統的・肉体的理由からお神輿を担ぐことはできないのですが、私は「微力でもいいから担ぐのを手伝ってほしい」と思わずにいられませんでした。

昼食後、広いエリアに出たところまで進んだ際に、担ぎ手全員が体を左右に揺らしたり立ったり座ったりします。この動作は、お神輿にいる神様を楽しませるために行われるのだとか。リズムに合わせて動こうと思うのですが、なぜか私の動きは周りと少しズレており、自分がまだ立ち上がろうとしているのに担ぎ棒が下りてきて、肩に衝撃が走ることもありました。そんなこともありましたが、踊りが終わった際には観客から大きな拍手が起こりました。

巨大なお神輿と格闘する担ぎ手たち

グランドフィナーレ

このお神輿コースの中で一番の難関は、金峯山寺蔵王堂へと続く約5mの階段です。3つある神輿隊すべてがこの広場に集まり、いわゆるグランドフィナーレとなるのです。

順番が一番最後だった私たちの隊は、他の隊が激しい太鼓の音と観客の応援の中、お神輿(私たちよりのものより軽い!)を担ぎ階段を上っていく姿を見ていました。ここでは失敗も休憩も許されません。階段では物理的にお神輿を下すことができないので、成功するか、担ぎ手全員が潰されるかの2つに1つです。これまでなんとか進んできた神輿隊に、階段が新たな挑戦を突き付けてきました。つまずきやすく、しかも前後のバランスをとるのも難しい大変な場所です。

あっという間に順番が来て、私たちはお神輿を担ぎ上げました。太鼓が激しく打ち鳴らされ、リーダーの掛け声に合わせて声を上げながら、アドレナリン全開で一歩ずつ階段を進みます。私は、これまでにないほどの集中力を発揮していたことを今でもはっきりと覚えています。

私はお神輿の胴体の真後ろの位置で担いでいたので、階段を上りきる以外、無事では済まないと思い必死でした。そして、この必死さを見せることが階段を上る意義なのだと感じました。危機に瀕した状況で勇気を見せることが儀式的に意味があり、神様に対する忠誠心を表現している、といえるでしょう。

お神輿を担ぐ男性、その舞台裏を支える女性、そして声援を送る観客。お祭りは、外に出て周りの人を知るいい機会になります。お神輿を担ぐという、危険も伴う挑戦を共に乗り越えることでチームワークも生まれます。私たちが最終的に階段を上りきりゴールした際には、ほかの隊の担ぎ手たちが、お神輿を保管場所に戻すのを手伝ってくれました。

お祭りの日の夜、参加者全員が近くのホテルに集まりました。私はそれほど多くの人と話したわけではないものの、参加者の間で繋がりが生まれているのを感じました。私たちはともに競い合い、忍耐で危機を乗り越えました。同じ経験をすることで、コミュニティが生まれるということを、今回身をもって学ぶことができました。

吉野山の秋祭りは毎年10月3日に行われます(感染症の拡大状況や雨天・荒天などにより中止の可能性があります)。

Nate

Nate

奈良北部で数年暮らした後、南部・吉野への移住を決めたアメリカ人。外国人に吉野の魅力を伝えるための活動をしています。

こちらの記事もぜひ!