手に吸いつくような木の温もり こんなおもちゃがあったなんて
橋元美穂さんの生み出す木のおもちゃを手にとると、「わあ……」と思わず声が漏れます。なんとかわいらしい、やっぱり木はええもんやなあと、触れれば手放せなくなる。大人の心にもときめきを覚えるのです。
「そういえば、木工ワークショップなんかでも、お母さんたちが『気持ちいい』『なんか安心する』って握りしめながら、おしゃべりされてますねえ。子ども以上に気に入ってくださるのかも」というのが、とてもうなずける。するするした滑らかさ、すごく軽くて木の温もりが伝わってくる……「こんなおもちゃに出会ったことがない」と私はすっかり感動してしまいました。
「手ざわりのよさは、吉野の木材だから実現できたんです。日本の子どもたちが日本の木を使ったおもちゃで遊んでくれたらいいなあって思ったのが起業のきっかけでした」
私自身、プラスチックにはない温かみを求めて、幼かった息子のために木のおもちゃを探し求めた経験があったのですが、確かに国産は見つからず、ほとんどが北欧製。しかも、それらはどっしりと重く、表面はテカテカした光沢剤でコーティングされていて、当然手ざわりも木そのものの感触とはまるで違います。
「杉もひのきも、吉野の木材って、木目が繊細できれいなのに軽いんです。赤ちゃんって何でも投げる時期がありますよね。もし、ぶつけたとしても、こんなに軽いからケガしにくいと思って」
作り手の思い、やさしさがにじみ出たおもちゃは、表情がとにかく愛らしい。ペールトーンのおさえた色合いは、安全性を考えて牛乳の成分からできた塗料で色付けされていて、それ以外はまさに“素材のまんま”。吉野の木の手ざわり、木目の美しさを生かすため、あえて無塗装で仕上げられています。
カタカタ、コトンと、心地よい音を立てながらワニの背中をふたつの玉が転げ落ちていく『わにの玉転がし』は、「複雑な作りにはしたくなくて。シンプルで単純な中に、子どもたちは私が思いもしなかった遊び方を見つけてくれるだろうなあって思うんです」との言葉通り、何度も何度もボールを転がしながら、ワニを立てたり寝かせたり、ひっくり返したりしながら、小さな子どもがおもちゃと一緒に成長していく、そんな光景が目に浮かぶようです。
『たべものひもとおし』にも、橋元さんの感性がキラリと光ります。よくある知育玩具のようにも見えますが、「おもちゃといえど、栄養バランスがこだわりなんです」と笑う橋元さん。
「子どもたちの苦手なピーマンも、きのこも、がんばって食べられるようになってほしいと願いをこめていまして。パーツはあえて13個という奇数にしたのにも理由があります。どっちが速いかな、よーいどんって、ひも通しの競争もできますし。おままごとでもゲームでも、本気で遊んでもらえたらうれしいです」
もちろん、遊ばないときにはインテリアとして飾っておいても、何ともかわいらしい。お気に入りのパーツには歯形がついたり、遊びこむうちに木肌にツヤが出てきたり、焼けて色は濃くなってきたりと、どんどん表情が違ってくる。たとえ子どもが成長して遊ばなくなってもきっと手放せない、家族にとっての一生モノになるのだろうなあ……ああ、私も息子の小さいころに橋元さんのおもちゃと出会えていたらなあ(今からでもほしいのだけれど)。
実物に触れてみれば違いは一目瞭然、親も子もきっと、どうしてもそばに置きたくなるだろうと思うのですが、作家ご本人はというと、「在庫があれば、もちろん買っていただけるんですけど……大量生産はできないです。今は私ひとりで、できる範囲で作っています」と、驚くほどマイペースです。
夢の実現のために吉野に移住 木の産地で叶えるもの作り
大阪・岸和田市出身の橋元美穂さんは、高校からデザインを学び、芸術大学でもビジュアル・デザインを専攻。卒業後は大阪で、外国製の知育玩具を“販売する”仕事に就いていたのだとか。北欧から来る木のおもちゃは愛らしいだけでなく、子どもの成長を考えた工夫があちこちに散りばめられている。それらを丁寧に説明して販売すればするほど、「日本の子どもに与えられるおもちゃが、どうして外国製なんだろう?」という疑問が拭えなくなってきたといいます。
「日本の木材を使ったおもちゃ作りに挑戦してみたい。最初にそういう企業を探してみたけれど、なかなか見つからなかったから、もしかしたら会社単位では採算が合わないのかもしれません。私ひとりでコツコツ作るのなら、できるかなと思って」
日に日にふくらむ夢を実現させる第一歩として、奈良の職業訓練校、県立高等技術専門校に飛びこみました。家具工芸について学び、卒業後は『地域おこし協力隊』として吉野町へ移住、知り合いもいない初めての土地で“木工職人”としての生活がスタートしたのです。
「三人兄妹の末っ子で、小さいころからずっとマンション暮らしだったし、虫も苦手なのに田舎暮らしができるものかと家族も心配してましたけど、逆に、『あらあ、よっぽどやりたいことがあるのね……』とここでの暮らしを見て、母には私のやる気を感じてもらえたみたいです」
自宅の裏にはアトリエがあり、さらにその裏には杉の茂る山が広がっている。空気のきれいなこの場所は、本当にのどかで静か。おじゃましている間にも、聞いたこともないような鳥の鳴き声がするのでびっくりしましたが、「最初こそさみしいかなあって思いましたけど、宅急便があれば何でも手に入るし、ご近所さんもやさしくしてくださるし」と、あくまでもマイペースな橋元さんにはここでの暮らしも「肌に合っている」そうです。
「ポリシーといえるものは、『自分でデザインしたオリジナル品しか作らないこと』くらいで、依頼があればだいたい挑戦します」といい、最近もこども園に設置する滑り台を二台製作したそうですが、「やっぱり、手のひらサイズのおもちゃ作りが好きですねえ」。吉野の杉、ひのきを用いた自らのおもちゃブランドには『esora』と命名、『絵空事』(美化や空想が加わって現実より誇張したこと)が由来だそうです。
「子どもの発想力、大げさなくらいの夢のある世界観はいいなあって。私は小さいころ、絵ばっかり描いてる子どもでした。とにかく上手になりたくって、セーラームーンとかいっぱい、何枚も……。芸術大学の受験に向けて夢中で練習していたころの絵も、最近まで実家に残してたんですけど、『そろそろ、捨てていいかなあ?』って母に言われたので、吉野に持って帰ってきちゃいました。未熟だったし、まだまだ下手なんだけど、夢を持って描いてた絵だから捨てられないです」
私は橋元さんを“マイペース”と表現したけれど、それは「自分の感性にウソがないところ」がすごくステキだなあと思ったからです。自分自身が大切にしたいと感じる心の反応にごまかしがなくて正直で、まるで子どものころのように瑞々しい感覚を持ち続けている女性。「大人だけれど女の子」といった印象がぴったりくるかもしれません。
「私ね、小学生とも本気で遊んじゃうんです。休み時間なんか割り箸の積み上げ対決とか、真剣勝負しますよ」と笑う橋元美穂さん。オリジナルのおもちゃ作りと並行して、吉野町の小学校で『木育』の講師を担当しています。「地元の産業に誇りをもってもらえるきっかけに」「木の魅力を伝えたい」と語るもうひとつのライフワークについて、後編ではさらにお話を伺っていきましょう。