朱花の月(2011年)
監督・脚本/河瀬直美
解説
「朱華色」は紅花で染めた黄みのある淡紅色をいい、色落ちしやすいことから、はかなげでうつろいやすい印象です。
たとえば万葉の時代、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は「思はじと言ひてしものを朱華色の変ひやすきわが心かも」と詠みました。「思うまいと誓ったはずなのに、私の心はまたあなたの方に傾いてしまう」といった意味です。
頭では分っていても、あらぬ方向に傾いてしまうのが心の常。理屈では割り切れない不思議さです。本作は、普遍的でありながら十人十色ゆえに解決が難しい愛の問題を扱っています。
「朱花の月」の制作にあたっては、奈良県橿原市・高取町・明日香村からなる「橿原・高市広域行政事務組合」と河瀬直美監督事務所「組画」が連携して取組みました。
作品の舞台は偏りなく一市一町一村から選ばれており、橿原市八木町「札の辻」近くに鎮座する恵比寿神社や「奥明日香」と呼ばれる明日香村稲渕、栢森の集落、また、橿原市・高取町の住宅など生活感あふれる場所で撮影されました。「奥明日香」という秘密めいた響きが浪漫を誘います。
作品の舞台・奥明日香へ
5月のある日、物語の舞台となった明日香村を訪ねてみました。大和棟の屋根の上を鯉のぼりが悠々と風に舞い、段丘状にひらけた青田がゆるやかに山麓を巡っています。ここが稲渕という地域なのでしょうか。段を成して延々と続くこの稲田の広がりこそ、日本の原風景。眺めるうち、ひろやかに心がほどけていく感覚があります。ただ、映画にもあるように、各家々では跡継ぎ問題が深刻で、男の子の誕生を祝う鯉のぼりの数を増やしたいというのが集落全体の願いであるようです。
田植えの済んだ5月の風をうけ、私を乗せた自転車は緑の中を走り抜けて行きます。光を弾いて輝く田んぼの水面を横目に爽快感は格別なものがあります。しかし、こうした清らかで美しい景色とは裏腹に、静まり返っていないのが人の心というもの。
映画では炎となって燃え盛る「命の火」が描かれます。
うつろう恋ごころ
映画は持統天皇が築いた藤原京の採掘風景から始まります。夫の天武天皇が造営を開始し、没後、妻が遺志を引き継ぐ形で完成させた日本初の本格的な都城です。大和三山に囲まれ、唯一開かれた南の方角に夫婦の合葬墓が静まります。
さて、この作品を理解する鍵となる2つの万葉歌があります。一つは、
「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神世より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬を あらそふらしき」
大和三山を擬人化し、香久山と耳成山が畝傍山をめぐって恋争いをした歌で、作者は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。「神代からそうであるらしく、だからこそ、現世でも愛する者を争うのである」と愛のもの狂おしさを詠っています。そしてもう一つが、
「燃ゆる火も取り包みて袋には入るといはずや あはなくもあやし」
こちらの歌の作者は持統天皇で、「燃える火だって袋に入れて持ち歩けると言うじゃないか。ならば、あなたの魂だって、そうして持ち歩きたいと思うのに、もう会えないというのはいったいどういうことなの」と訴えます。複数の男性が一人の女性をめぐって争う様子を描いた前者。そして、死んだ後々までも夫を恋慕う一途な女性を描いた後者の歌が教えるのは、「待つ」ことの大切さでした。
人の心のうつろいやすさは、昔も今も変わりありません。映画では木工作家(拓未)と雑誌編集者(哲也)が染織家(加夜子)をめぐって恋争いをします。加夜子の恋人・哲也は野菜づくりが趣味。庭の畑でとれた野菜を食卓に並べ、得意になってうんちくを傾けますが、加夜子の表情は冴えません。木工作家・拓未との間に芽生えた気持ちは止めようがなったのです。拓未と哲也は詠います。「我はそなたが愛おしい 香具山は畝火山が愛おしい 奪われたくはない故に争うのだ 耳成山と争うのだ 遠い昔もこうだったのだ 神の時代からこうだったのだ 今も二人で一人の女を奪い 争うのだ」と。
現在と過去が交錯しながら展開するストーリー
河瀬監督作品の大きな特徴は、現在と過去を交差させながら進行することです。拓未の祖父は戦争から生還して見合結婚し、拓未の父が生まれてすぐに他界しました。加夜子も母から「祖母には好きな人がいたが、当時は親が薦める縁談に逆らえなかった」ことを聞かされます。拓未の祖父と加夜子の祖母はかつて恋人同士だったようなのです。
物語では、今は亡き拓未の祖父が当時叶わなかった自分たち二人の思いを遂げるかのようにたびたび拓未の前に現れ、加夜子との愛を成就させようとするシーンが描かれます。彼は奪い合うことばかりが愛ではなく、「待つ」ことの大切さを知っていたのです。
ところが、現在の恋模様は複雑です。拓未と加夜子の関係を知った哲也がやがて死を選ぶ、という展開は、拓未の祖父の時代には見られなかった壮絶さです。鮮血、二上山に沈む夕陽、染料の赤が描かれるシーンが鮮烈な印象を残します。
ここで場面は古代へと遡り、得体の知れない虫と岩、血を連想させる染料の色が映し出されます。作品の撮影に参加した方のお話では「あの岩は古墳に見立てられており、棺の中の天武天皇が目覚めるイメージが描かれている」とのことです。
天武天皇は死んだ後も藤原京にいる妻(持統)を思っていたことでしょう。〝永遠の愛〟を想像させるシーンです。一方の持統も、亡き夫を常に眺めていられるよう京(みやこ)の真南に墓を造り、やがて自らも埋葬する合葬墓としたのでした。夫との思い出の地・吉野へ三十回を越える行幸を繰り返した持統は、本当に情の深い女性であったことが偲ばれます。
藤原京はまだ発掘途上です。土の下には愛に生きた多くの人々の悲喜こもごもが埋まっています。叶わぬ恋に身を焦がした男と女の愛憎が降り積もっています。人間の営みは昔も今も変わることがありません。